史書

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  第二章 旅の始まり 7  

 桃華に連れられて着いたのは靖郭の中では静かな場所にある鍛冶屋だった。
「すみませ〜ん」
 桃華が声をかけて出てきたのは、筋肉質な腕を持った女性だった。髪は短く切りそろえられ、着物の色は黒。男勝りな女性に見えた。
「鳳華、久しぶりだね。今日は何の用?」
「あのね、横にいるの紅貴って言うんだけど、紅貴に刀売って欲しいの」
「刀ねぇ」
「でね、本当は一から造って貰いたいんだけど、わけあって待っている時間が無いから今ある刀で、紅貴にぴったりなやつを売って欲しいの」
女はフッと笑うと言う。
「紅貴君、ちょっと手を見せて」
 紅貴は不思議に思いながらも、手を差し出した。女は紅貴の手を触る。
「いいよ、しまって。君、剣を使ったことほとんどないんじゃない?」
「え」
「手を見ればわかるさ。鳳華や駿の手はああ見えて、剣ダコだらけの堅い手なんだけど、君の手はそういうの一つもないもんね」
「はい。実は最近はまったく剣を握っていません。でも、手を見るだけでわかるなんてすごいですね」
「そりゃそうさ。私は、伝説の鍛冶師、頑信の弟子だった女なんだからね」
「ねぇ珠花、紅貴に刀売ってもらえる?」
珠花はまじまじと紅貴を見た。見つめられた紅貴は喉をごくりと鳴らした。やがて、珠花はニッと笑った。
「いいよ。売ってやるさ」
「わぁ〜い!ありがとう〜珠花大好きっ」
 桃華はそう言って珠花に抱きついた。
「あ〜もう、くっつくなって」
 紅貴思わず唖然とする。そんな紅貴に珠花が笑いかけると、はっきりとした明るい声で言った。
「本当は剣をまともに扱えない奴にうる刀はうちの店には無いんだけどね、あんたは特別だよ。鳳華の頼みでもあるしね」
「ありがとうございます」
「そうだ、大事なことを言い忘れていたわ。お代はリュウセイに請求してね」
「リュウセイって……鳳華は相変わらずなんだね」
「さっき下ろしたお金で払うんじゃないのか?俺、あとで桃華にお金を返すつもりでいたんだけど」
「私が?まさか。あのお金は、あとで、靖郭名物フカヒレ饅を買うために下ろしたんだよ。わざわざ刀を買うために下したりしないわ」
「でもリュウセイっていう人が可哀そうじゃ……」
「大丈夫よ。リュウセイだし。ね、珠花」
「……ま、リュウセイ様も可哀想だし、今回は特別にただで譲ってあげるよ。ちょうど紅貴にぴったりの刀もあるしね」
「俺にぴったりの刀?」
「ちょっと待ってて。刀持ってくるから」
桃華は紅貴の方を向き、にっこり笑った。
「良かったね。このお店、本当に初心者には売ってくれないお店なんだよ」
「うん。でも、そんなお店なのに本当にタダで刀貰っちゃって良いのかな?」
「珠花が良いって言うんだから良いんだよ。『紅貴』だしね」
「俺??」
 桃華は嬉しそうに頷く。
「うん、紅貴だから」
「??」
「おまたせ」
 珠花は黒い鞘に入った刀を紅貴に渡した。黒に赤い龍の装飾。彫刻の一本一本がつぶれておらず、優美な曲線を描かれている。紅貴は刀の美しさに、思わずため息をついた。
「わぁ〜すごく綺麗だね」
「これは、先代が残した刀の一つ、『国士無双』っていう刀さ」
「紅貴よかったね」
「俺……何とお礼言ったら良いか」
「礼なんて良いさ。その代わり、目的を絶対果たすんだよ」
「じゃあ私達そろそろ行くね」
「あんまり無茶するんじゃないよ」

紅貴と桃華が去った後の加治屋。珠花は紅貴と桃華の後ろ姿を見ながら静かにつぶやいた。
「まさか先代の予言があたるとはね」

 日が僅かに西に傾きかけた時刻、翡翠は目を覚まし、馬小屋に向かった。そこで翡翠は白琳に会う。
「翡翠様おはようございます。よく眠れました?」
「こんなところで何してるんだ?」
「翡翠様と同じですよ。馬に餌をやりにきました」
「俺はこいつらに餌をやるなんて不本意なんだがな。特に天テンは好き嫌いが多いから面倒だ」
「でも、そこが可愛いじゃないですか」
「……そうか?」
「甘い物を見つけた時の天テンなんて、とっても可愛いですし」
 翡翠はこれには何も答えなかった。
「……日が西に傾きかけてるな。今からこの街を発っても次の街の閉門の時刻には間に合わなそうだな」
 翡翠はそう言って腕を組んだまま溜息をつく。
「あら、私は、桃華様が買い物のために、 今日一日だけ靖郭に居られるように、翡翠様にお願いしたって聞きましたけど」
「それを桃華から?」
「はい」
「……あいつそんなこと言ったのか」
「実際、桃華様は紅貴様と一緒に買い物に行きましたよ。瑠璃も、その後で、せっかくだからって言って買い物に出かけました」
  それを聞き、翡翠がため息をついた直後だった。翡翠は上空の羽音を聞いた。上を見ると、知らせ鳥がいた。紫の部分が濃いあの知らせ鳥は王の鳥だ。知らせ鳥 は、翡翠と白琳の真上で二三回旋回すると、巻物を落とした。翡翠は巻物を受け取り、開く。目を通した翡翠はため息をつく。
「面倒なことになったな。……桃華の力は最近は少し弱まってるから俺が行くしかないか」
「桃華様の力が弱まってるって?」
「いや、こっちの話だから気にするな」
「翡翠〜白琳〜!この刀見てくれ」
 突然だった。桜亭に紅貴が帰ってきたのだ。
「綺麗な刀ですね。それ、どうしたんですか?」
「桃華と一緒に行った鍛冶屋でタダでもらったんだ」
紅貴は本当に嬉しそうに言う。そんな紅貴を見た翡翠は、呟くように言った。
「お前、桃華に少し似てきたな」
「そうだ。丁度よかったですわ。紅貴さん、これ、お願いします」
白琳は綺麗な笑顔を紅貴に向け、馬の餌を手渡した。
「これって」
「馬に餌をやりに来たんですけど、気が変わりましたわ。紅貴さん、それから翡翠様、お願いしますね」
 そう言って去っていく白琳を見た翡翠は再び溜息をついた。

 紅貴は馬一頭一頭の前に餌を置いて行く。元々動物が好きな紅貴にはそれほど苦になる作業ではない。嬉しそうに餌を食べる馬の様子は、見ていて嬉しくなるぐらいだった。
「天テンは餌に砂糖を混ぜないと食べないから、砂糖を入れてやれ」
 翡翠が投げた砂糖の袋を受け取り、さっそく天テンの餌に混ぜてみる。すると、先ほどまであまり餌を食べていなかった天テンの食が進んでいた。そして、紅貴の顔をなめ始めた。
「天テン、くすぐったいよ」
 そう言いながらも、そんな天テンが可愛いと紅貴は思った。
「お前一人で大丈夫そうだな。俺は先に部屋に戻ってるからあとは頼む」
「あ、ちょっと待って!翡翠に聞きたいことがあるんだ」
 紅貴は馬小屋の柵に腰かけている翡翠の前に行く。
「その……昨日のあれはいったい何だったんだ?」
「何の話だ?」
 首をかしげる翡翠は知らない振りをしている様子ではなかった。本当に分からないようだ。
「えっと、昨日の夜部屋に戻ったら寝てる翡翠の横に白琳が居て、不思議なことをやったんだ。白琳が手を当てると、翡翠の身体から紫色の光みたいなのが出てきて……。正直言って、不気味だった…… 。でも、どうして気になったから白琳に聞きに行ったんだけど、白琳は言えないらしくて翡翠に聞いてって言ってたんだ」
「……あぁ、そういうことか。悪いが俺にも言えないな」
「どうして?」
「どうしてって言われてもなぁ。唯一話せるとすれば桃華だろうが……」
「桃華?」
「あぁ。だから話は桃華に聞けって言いたいところだが、多分桃華話さないと思うぞ。このことはとりあえずは忘れるんだな」
「うん……」
「そういや、あの刀見せてくれるか」
 紅貴は翡翠に刀を渡した。翡翠は刀を少し抜き、刃をじっと見つめた。鞘に刀を納め、紅貴に刀を手渡した翡翠は言う。
「良い刀だな」
「ありがとう」
「お前にはもったいない刀だな」
「国士無双っていう刀なんだって」
「国士無双……。それもお前にはもったいないな」
「国士無双ってどういう意味なんだ?」
「古 くからある童話で『幻相記〜史記〜』っていうのがあるんだが、そこに、劉邦っていう登場人物がでてくるんだ。その劉邦に仕えた韓信の才能を、「国に二人と いない、得難い人材」と讃えたのが由来だな。つまり国士無双は国中で比べる者がいないほど、優秀な人物って意味だ。お前にはもったいないだろう?」
「そんなすごい意味なんだ。ところで、翡翠は頑信って知ってる?」
「あの伝説の鍛冶師の流れをくむやつか。確か今ある各国の王家の剣や刀を打つのを任される程の腕だと聞いてるが。じゃ、俺は部屋に戻るから餌やりは任せた」
馬小屋に一人残された紅貴は天テンを撫でながらつぶやく。
「やっぱり昨日のことは聞いちゃいけなかったんだ……」
天テンはそんな紅貴を励ますように顔を舐めるのだった。

「ただいま〜」
 食堂で翡翠と白琳と共にお茶を飲んでいると、刀を買った後で紅貴と別れた桃華が戻ってきた。
「これ見て〜」
 桃華はそう言って、紙に入った何かを見せた。満面の笑みで見せる桃華は本当に嬉しそうだ。
「靖郭名物フカヒレ饅買ってきたよ」
「靖郭名物フカヒレ饅といえば、翡翠様の大好物ですね」
「ちょっと桃華そんなところで立ってたら邪魔よ」
 桃華がフカヒレ饅を自慢している時だった。食堂の戸が開き、瑠璃が現れた。
「あ、瑠璃お帰り」
 桃華がそう言うと、瑠璃の後ろから子供が出てきた。
「瑠璃、その餓鬼は何だ」
「この子、清風って言うんだけど、みんなに話を聞いてほしいの。とくに馬鹿兄にね」
「湖北村が危ないんだ!」
清風と呼ばれた少年は突然、そう言った。
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