史書

戻る | 進む | 小説目次

  第二章 旅の始まり 8  

 桃華と紅貴はどこかへ出かけてしまった。白琳は薬の調合をするらしい。馬鹿兄翡翠は当分起きないだろう。せっかくの休日なのだ。一人で宿でのんびりしてい るのももったいないと瑠璃は思う。靖郭に来るのも久しぶりだったので、瑠璃は街に買い物にいくことにした。街を歩けば、いたるところから客を呼び込む声が 聞こえる。李京でもそれは同じだが、李京と違うのは、露店の数が多いところだ。売り子と客の直接のやり取りが李京以上に多く、腕が鳴る。瑠璃は、値下げ交 渉に自信があったのだ。ちらりと前方を見れば、色とりどりの髪飾りが飾ってある露店があった。
(桃華に買っていったら喜ぶかな)
 なんとなく、楽しい気分になり、店の前に行こうとしたその時だった。後ろから少年が走ってきた。そして、偶然にも瑠璃の目の前で少年がこけた。 瑠璃は手を差し出そうとしたが、少年はそれに気付かない様子で走り去ってしまった。
「大丈夫かしら」
 そう、呟いて下を見ると、黒い布の固まりが落ちていた。それを拾うとチャラチャラと音が鳴った。金属同士がぶつかり合う軽い音はおそらくお金だろう。
「あの子のかしら」
 瑠璃は財布を届けるために、少年が向かった方に向って歩き始めた。ちらちらと辺りを見回すが、少年は見当たらない。走っていたからだいぶ先に行ってしまったのかもしれない。いつの間にか瑠璃は露店が並ぶ小路を抜けていた。
(まったく、あの子どこにいったのかしら)
 仕方ない、とため息をついた瑠璃は、財布を役人にあずけようと決めた。
「二将軍の力が必要なんだ!知らせ鳥で二将軍を呼んでくれよ!」
子供の声だ。声がした方を見ると、数人の人だかりが出来ていた。
(そういえば二将軍って……?)
 瑠璃は、人だかりができている場所へいった。人だかりの中心にいる人物を見た瑠璃はあ、と声を上げる。偶然にも先ほど財布を落とした少年だったのだ。
「清風君といったかね。二将軍はそんな簡単に呼べる御方じゃないんだよ。二将軍は呼べないけど、代わりにこの街の兵が行くのじゃだめかな?」
「駄目だって言ってるだろう!普通の兵じゃやられちゃうんだ!村にいた兵もみんなやられちゃったし……」
少年は震える拳を握っていた。清風と呼ばれた少年は本当に悔しそうだった。
「しかし、二将軍は、ただ会うことも難しい御方なんだよ。その二将軍の力を借りたいというのは難しいことなんだ。だから、私たちが……」
「相手は妖獣なんだぞ!普通の兵じゃやられちゃう!妖獣を相手にできるのは、この辺りだと二将軍だけだって、亮先生が言ってたんだ!」
 妖獣という単語に辺りがざわつく。
「妖獣なんて伝説の生き物じゃろう。どうせ凶暴な獣と間違えたとかそんなんだろうに。そんなことで二将軍様を呼べとは何事じゃ」
  隣にいた老人が小声でつぶやく声が聞こえた。老人が言うことはもっともだ。妖獣とは、龍や朱雀などの特別な力をもった生き物のことをいう。洸嘉十二小国戦 国期には妖獣を使う妖獣使いがいたというが、伝説でしかない。そもそも妖獣が本当に居たかも怪しいというのが、一般的な認識なのだ。しかし、清風の目は真 剣そのものだった。だが、それに対し、周りの大人は、子供の言うことだと、信じていない様子だ。大人たちの考えももっともだが、信じてもらえない清風がだ んだんかわいそうになった瑠璃は輪の中心に飛び込んだ。
「清風君?さっきお財布落としたわよ」
 瑠璃はできるだけ自然に笑って清風に財布を渡した。
「ところでさっき二将軍がどうとかって言ってたけど、どうして二将軍なんか呼びたいの?」
「湖 北村に妖獣が出たんだ。村中を暴れまわって、けが人がたくさん出て、村人を守ろうとした兵もやられちゃって、けが人を助けようとしたお医者さんもやられ ちゃった……。変な話なんだけど、怪我はしてないのに、急に倒れる村人もいて……。俺たちはその人たちも連れて山のふもとに避難したんだ」
「事情はわかったわ。その妖獣を倒すために二将軍の力が必要なのね」
「亮先生が、妖獣を倒すことができるのは二将軍だけだって言ってたんだ。だからそこにいる兵士に二将軍を呼んでもらおうとしたんだけど、よんでくれなくて……」
「そうだったの。私の知り合いに無駄につよい軍人がいるの。多分、あれなら妖獣を倒せると思うわ。その人、今この街に来てるから、その人に倒してもらうのじゃダメかしら」
「本当に!?」
「お嬢さん、しかし……。私が清風君に同伴します。北湖村でなにが起こっているかわからない以上、一般の方が行かれるのは危険かと」
 兵士が瑠璃に話しかけてきた。
「大丈夫だと思います。私の知り合いは、本当に強いですから。ところで清風君、そんなに大変なことが起こっているなら、李京には知らせたの?」
「亮先生が知らせ鳥で李京に知らしてた。でも、俺、じっとしてられなくて……」
  知らせ鳥を扱えるということは、その亮という人物はそれなりにすごい人物なのだろう。湖北村で何かが起こっているとして、最善の策は李京に知らせること だ。あとは待つしかないのだが、待つことしかできずに、いてもたってもいられなくなる清風の気持ちが、瑠璃にはなんとなくわかる気がした。
「清風君、もう大丈夫よ。とりあえず私たちが泊まっている宿に行きましょう」

「じゃあその妖獣さんを倒せば良いの?」
 瑠璃の話を聞いていた桃華は嬉しそうに言った。
「そう。桃華ならできるんじゃないかと思って」
「うん、多分大丈夫だよ」
「なぁ瑠璃、強い人ってこの女の人?」
 紅貴が桃華と初めて出会った時と同じことを思ったのだろう。清風は瑠璃に尋ねた。
「そうよ。あと、そこにいる茶髪のやついるでしょう?翡翠っていうんだけど、あの馬鹿兄も真面目になれば使えると思うわ。ちなみに赤い髪が紅貴。となりにいるのは白琳よ」
紅貴は瑠璃の話を聞いていて疑問に思ったことがある。それを聞いて良いか少し迷ったが、やはり確認する必要がある。
「清風、湖北村で見たのは本当に妖獣なのか?」
 紅貴がそう言うと、清風が睨みつけてきた。
「俺が子供だから信じてないのか!?」
「違うよ!清風が子供だとかそんなことじゃなくて、清風は『史書』創世の巻きは知ってるか?」
「あぁそっちのことか。知ってるぞ。えぇと……人々は、この世界の秩序を作り出した……で、なんだっけ」
「…… 人々は、この世界の秩序を作り出した。秩序の世界と混沌の世界の線引きをしたのは妖術使いだった。神龍の体より生まれし世界に人間の秩序の世界と、混沌の 世界の境界を作った、だな。つまり、門の内が秩序の世界で、外は違う。門と郭壁が、かつて妖術使いがひいた境目の名残だと考えると、門の内……湖北村で勝 手に妖獣が現れるはずはないって言いたいんだろう?もし、本当に湖北村で妖獣が暴れまわってるって言うなら、今はいないはずの妖獣使いが関わってるってこ とになる」
 紅貴が言いたかったことを翡翠がまとめた。今では妖獣そのものの存在が疑われているが、かつては確かに存在していた。しかし妖獣が存 在する場所は、門の外、つまり街の外のだった。そんな妖獣を門の内側で使うことができる一族がかつては存在しており、妖獣使いと呼ばれていた。だが、妖獣 使いは今では存在しないことになっている。
「でも、本当に妖獣なんだ。亮先生も、妖獣だって断言していたんだから間違いないさ」
「それは大変ですね。……ところで話は変わりますが清風君お疲れなんじゃありませんか?」
「うん、寝ずにこの街に来たんだ。俺、少し疲れちゃった……」
白琳はいつも通りやわらかく笑って清風に言う。
「妖獣は私たちでなんとかしますから安心してください。今はお休みになってください。翡翠様、清風君を部屋に案内してください」
 翡翠はため息をつくと、紅貴と翡翠が泊まっている部屋へ清風を案内した。
「紅貴って意外と妖獣に詳しいのね。なんか意外だわ」
瑠璃にそう言われ、紅貴は曖昧に笑うことしかできない。
「なぁ瑠璃、湖北村に本当に妖獣が出たのかな」
「正直、妖獣が本当にいるなんて私には信じられないわ。でも、清風が嘘ついているようには思えないし…… 紅貴はどうなの?」
「俺はあり得ないことではないと思う。あ、翡翠が戻ってきたな」
「清風君はどうですか?」
白琳が翡翠に尋ねると。翡翠は淡々と答えた。
「よっぽど疲れてたのかすぐ寝始めた。紅貴は今晩は床で寝るんだな」
「寝たっておれの寝台でか?」
「当たり前だろう。俺の寝床を誰に譲るか」
 翡翠と知り合ってわずか数日だったがなんとなく翡翠の性格をわかっていた紅貴は反論するのも面倒になり、代わりに話を変えた。
「翡翠は湖北村のことどう思うんだ?」
「どうも何もさっき、王からの命令が書かれた巻物が届いてな、そこに湖北村のことが書かれてたんだ。妖獣が出たからなんとかしろだとさ」
「じゃあ、どう思うも何もないな」
 紅貴がそう言うと翡翠は腕をくんだまま、また溜息をついた。
「妖獣とかなら、私の方が得意だから、私、一人で湖北村に行くね。みんなは先に慶に行って待ってて。慶で待ち合わせしよう」
「……桃華、今のお前より俺が行った方が早いと思うぞ」
「なんで?」
桃華は首をかしげて不思議そうに翡翠を見ていた。
「…… 自覚ないのか。まぁいい。とにかく、妖獣には俺が行く。あの偽役人に、俺たちの消息を絶つために念のために嘘をついたんだが、その嘘が目的地を湖北村だと 偽る嘘なんだ。目的地と真逆の場所を言うと嘘だとばれた時に怪しまれる可能性があるから、それなりに外れた場所にあっていく予定がなかった湖北村は丁度よ かったんだが……役人は捕まったから大丈夫だとは思うが、追手がもしいたとして、行く可能性があるとすれば湖北村の可能性は高い」
「馬鹿兄でも頭使ってるのね」
瑠璃を無視して言葉を続けている。
「それから、悪いが白琳にも一緒に来てもらう。もし、本当に妖獣がでたとして……あとは分るだろう?」
「えぇ」
「っていうか、みんなで湖北村に行けば良いんじゃない?私が行っても足手まといかもしれないけど白琳が妖獣にやられた人の手当をするのを手伝うことぐらいはできるだろうし。あ、もちろん紅貴がそれで良かったらなんだけど……」
瑠璃が紅貴の方を見た。紅貴は湖北村に行くことに迷いはなかった。もちろん、洸にはできるだけ急いで戻る必要がある。だが、湖北村をほっとけるはずがなかった。妖獣がでているというならなおさらだ。――なぜなら……
瑠璃、翡翠、白琳、桃華。みんな紅貴の方を見ていた。紅貴の答えを待っているようだ。
「うん、みんなで湖北村に行こう。湖北村に妖獣が出たならなおさら俺が行かなきゃダメだと思うんだ。みんなにはまだ言ってなかったけど、おれ、実は、その……まだ半人前だけど……妖獣使いなんだ」
 桃華は目を見開いていた。瑠璃と白琳は、え、と声をあげ、普段は無表情の翡翠ですら驚いたようで、眉をぴくりと動かしていた。
戻る | 進む | 小説目次
inserted by FC2 system