史書

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  第一章 北の青い空 2  

 青年についていった少年は、日の光が当たる煌路に出た。温かい光の中に出てわかったことだが、目の前にいる青年は、茶髪だった。少年は、路の様子を見まわ した。裏の小路の様子とは様変わりし、柔らかな昼の日差しで灰色の石畳が白く反射している。その中央を、小川のように水が流れていた。路の両端には桜の 木。先ほどまでいた小路とは違い、幾人もの人が歩いていた。そして、やはり、時々吹く、南の海からの潮風が桜の花びらをはらはらと散らせていた。噂には聞 いていたが、綺麗な都だとそう思った。今はもう終わってしまっているが、春の初めの桜祭ではもっと美しくなる、というのを少年は聞いたことがあった。
 ふと少年が正面を見てみれば、少し長めの茶髪を下の方でしばっている 青年は、だいぶ前の方へと進んでしまっていた。少年は小走りで青年を追いかけて、青年の横に並んだ。ふと、青年の横顔を見上げて、少年は驚く。今までくら い小道にいて気付かなかったが青年の瞳は翠色をしていた。 少年は翠色の瞳をもつ人物を見たことがなかったのだ。思わずまじまじと青年の顔を見つめる。少年の視線を感じたのだろうか。少年より頭一つ分近く背が高い 青年は少年を見下ろした。
「……俺の顔になんかついてるか」
 相変わらずの落ち着いた声で青年が言った。
「あ、いや、ただ、翠色の瞳なんて珍しいなぁって思って」
 青年は、やれやれというよに、軽くため息をついただけだった。慣れた反応なのかもしれない。
「嘉って綺麗な国だな。噂で聞いた通りだ」
「……お前は外の国から来たのか?」
 少し間を置き青年が問う。
「あ、うん」
「…お前の髪の色、珍しいな」
 少年はああ、と頷くと癖のある赤い髪を手に取った。少年の髪は、赤みがかった茶色でも、何かで染めた赤でもなく、純粋な赤だ。
「この髪の色が目立ったからかな?今、双龍国でもっとも安全な嘉にいるのに、財布をとられそうになったのは」
少年はふと思いついた疑問を口にする。双龍国といわれるこの大陸には、北の洸を始め、八つの国が存在しているが、嘉以外の国は落ち着かなかった。ある国では貧困にあえぎ、また、国同士で何年も戦争をしている国もある。そんなご時世に、嘉だけは違うと聞いていた。
「…お前、名はなんだ」
「紅貴」
 兄さんは?そう問う前に、青年の言葉がそれを遮った。
「紅貴、確かに嘉は双龍国の中ではもっとも安全な国だ。だが、昔ほど治安は良くない。周りの国があれだけ荒れていて、嘉も昔のようにのんびり平和っていうわけにはいかない」
 赤い髪の少年――紅貴は、青年が言おうとしていることがつかめずに首をかしげる。そんな紅貴を見てか、青年は呆れたようにため息をついた。
「ある程度落ち着いている国はここら辺だと、嘉だけだろう?逃げるとしたら嘉以外の選択肢は考えられない。 ……当然だが他国から嘉に来た難民が増える。嘉の国民とそれ以外の難民とで、格差が生まれる。この国で成功する奴は良いが、そうじゃない奴もいる。 すると、そいつらの中には罪を犯す者もいる。あの、薄暗さじゃ、紅貴の髪の色は目立たない。髪の色のせいなわけないだろう…紅貴、お前、見た目に違わず馬 鹿だな」
 青年が、軽蔑しているような気がし、紅貴は微かに怒りを感じた。
「そんな言い方ないだろう。たしかに、兄さんと違って、髪の色以外特徴ないし、平凡な容姿だし、弱いけど、そんな冷たい言い方しなくたって良いじゃないか」
目の前にいる青年は確かに、並以上、いや、かなり端正な顔立ちをしていた。天馬を扱えると知って、憧れにも似た感情を覚えていた。しかも青年は紅貴の目の 前で、財布泥棒を倒して見せていた。しかし、人が話していてもにこりともせず、この冷たい言い方。この青年は性格が悪いのではないだろうかと、紅貴は思っ た。先ほどまで持っていた憧れに似た感情も、消えていくのを感じた。
「紅貴はただの難民というわけでは無さそうだな。……嘉、いや、煌李宮にいったい何の用だ」
青年は紅貴の心の内を知ってか知らずか、相変わらずの口調で続けている。紅貴は、不機嫌な様子を隠さずにそれに答えた。
「兄さんには関係ないだろう」
「いっておくがそう簡単に煌李宮には入れないと思うぞ。一般人が進めるのは煌北門の先、煌李宮の正面、麒門までだ。……一応、王が住む場所だからな」
「そんなことはわかっている!それでも俺は何が何でも煌李宮に行かなきゃいけないんだ!」
 紅貴は、青年を睨んだ。紅貴が叫びにも似た声を上げた直後、 その声に共鳴するかのように、穏やかだった風が急に強くなった。はらはらと漂っていた桜も、吹雪のように舞い散った。青年は何を思っているのだろうか。口の端をほんの少しだけ緩めて微かに笑うと、淡々と言う。
「……俺の名前を言っていなかったな。翡翠だ。煌李宮にいる兵は強い。財布一つまともに守れないような餓鬼一人じゃ煌李宮の侵入は無理だ。俺が手伝ってやっても良い」
翡翠の意外な言葉に紅貴は目を瞬いた。
「でも翡翠さん……」
「翡翠で良い。それはそうと、もうじき煌李宮に着く」
翡翠が指を指した方を見ると、白い石でできた城のようなものが見えた。白は二層に別れており、上層にも下層とも数人の兵士が待機していた。下層には人が通り抜けられるような空間がある。
「煌北門だ」
 紅貴は、絵でしか見たことがないその門の名をつぶやいた。紅貴の目で、はっきりと兵士の顔をはっきり見ることができる位置まで近づくと、こちらに気づい たのか兵士が、頭を下げた。ちらりと紅貴が横を見ると、翡翠はなぜかため息をついている。紅貴にはそれが少し不思議に思えたが、考えてもきっと翡翠の考え ていることなどわからないだろうなと思った。
 煌北門を通り抜けると、細かい彫刻があしらわれた門が現れた。この国を守ると言われている獣の一つ、麒麟の彫刻だ。ゆえにこの門は麒門と呼ばれた。
紅貴は麒門を正面から見る。あの門を通れば、その先は煌李宮だ。紅貴はこれからしようとしていることを思い、喉をごくりと鳴らした。
「……言ってなかったが、俺は嘉国の軍に務めている。お前が煌李宮に入れるように話をつけてくるからその辺でまっていろ」
 無理やり煌李宮に侵入する覚悟をしていた紅気は、気が抜けるのを感じ、そして同時に安堵のため息をついた。だが、と彼は思う。これから成そうとしていることの重さは変わらない。
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