史書

戻る | 進む | 小説目次

  第三章 妖獣 8  

 

 紅貴が目を覚ました頃、日が高く上り、昼近くになっていた。昨日は体に力が入らず、起きているのも辛かったが、よく眠ったせいか、すっきりとした気分だった。まるで昨日のことは嘘のようだ。井戸の冷たい水で顔をあらった紅貴は、すっかり目が覚めたていた。外との仕切りがない回廊を歩いていると、春の温かい風が通り抜け、気持ちが良い。
「紅貴さん、おはようございます。といってももう昼近いですけど」
「あぁ白琳おはよう。昨日はありがとうな」
「いえ。ところで紅貴さん朝食まだですよね?良かったら私とどうですか?」
「うん、食べる。丁度お腹がすいてたんだ」
「朔姫さん……えぇと、湖北村の孤児院で清風君の母親代わりになっている人が作ってくれた残りがあるはずです」
白琳と話しながら 回廊を歩いていると、外に向かって足を投げ出して座っている清風がいた。
「清風、おはよう」
「おはよう」
 外では大きな男が、元気になった子供たちの剣の稽古をつけていた。幼い子供たちの剣筋はまだ未熟だったが、それでもとても楽しそうだ。それを教える男も嬉しそうだ。しかし、それを見る清風の表情はどこか暗かった。
「清風元気ないな、何かあったのか」
「別になんでもないよ。ただ、麒翠様と鳳華様が心配なんだ」
「翡翠と桃華……?」
清風はこくりと頷く。
「あの二人なら大丈夫ですよ。頑丈ですし」
 白琳はにっこり笑って言うが、清風の表情は暗いままだった。
「二将軍に来てほしいと思って、本当に来てくれたことには感謝してるんだけど、それでもし……」
「何ごちゃごちゃ言ってるんだい」
 突然大きな声がし振り返ると、腰に手を当てた中年の女がいた。
「朔姫さん」
 清風は驚いた様子で言った。紅貴もびっくりしていると、朔姫は笑った。温かい笑顔だ。
「清風が麒翠様と鳳華さまのことを心配するのも分かるけどね、そんな暗い顔してたって仕方ないだろう?お医者様も大丈夫って言ってるんだ。あんたはそんな落ち込んでいないでほかの子供たちと一緒に冬梅に稽古付けてもらったらどうだ」
稽古をつけていた男の名前は冬梅というらしい。清風に気づいたのか、冬梅は手を振る。
「お〜い、清風も来い」
「そうだよ、清風も来いよ!何なら剣の勝負、俺とするか?負けるのが嫌なら逃げたっていいんだぜ」
 冬梅に続いて、清風と同じ年頃の少年の言葉も続く。
「だれが負けるかよ!俺、お前なんかに負けたことねぇぞ!今行くから待ってろ」
 清風は、ひょいっと回廊を降りると、軽やかに駆けだした。
「さてと、私は洗濯でもやりに行こうかね」
 朔姫はそう言うと、歩いて行った。
「ところで、白琳、翡翠と桃華に何かあったのか?」
「あの二人は少し調子に乗りすぎたので、今は寝込んでます」
「え!?大丈夫なのか?」
 詳しくはわからないが、翡翠と桃華が寝込むぐらいだ。大変な状態のはずだ。しかし、驚く紅貴に対して白琳は淡々と言う。
「昨日、私が二人を助けましたから心配しないでください。ただ、あの二人、特に翡翠様は当分の間使い物になりませんが」
「使い物にならないって……」
「本当は慶とかの、設備が整った都市で休ませたいんですが、あの二人が馬に乗るなんて絶対に無理ですし、仕方ありませんね。あ、あの、翡翠様は使い物になりませんし、桃華様も寝たままですが、大丈夫ですから安心してくださいね」
「うん、わかった白琳がそう言うなら信じるよ。でも、二人がそんな状態になるなんて、俺が昨日、寝た後何があったんだ?」
「妖獣のせい……いえ、わざとらしい嘘は良くないですね。……何があったか、本人からは聞いていませんが、想像はできます。でも、もしその想像が当たっていたら、私からは言えません。……知られることを嫌がるでしょうから」
 そう、無表情で言う白琳の姿を以前、見たことがある気がした。最近のこと、そう、それは靖郭の宿で、紫色の光が白琳の手に吸い込まれるのを見て、それを白琳に聞いた時の表情だ。だとしたら、聞いてはまずい、そんな気が紅貴はした。気まずい沈黙が流れ、どうしようかと困っていると、聞きなれた明るい声が聞こえた。
「白琳、紅貴、おはよう。さっき村の人から、あの馬鹿兄と桃華が倒れたって聞いたんだけど、大丈夫なの?」
「瑠璃、おはようございます。帰ってきたんですね」
「うん、開門と同時に馬に乗って戻ってきたの」
「あの二人でしたら大丈夫です。私が助けましたから」
 瑠璃は声をあげて、楽しげに笑った。
「アハハそうでしょうね。白琳に助けられない人なんていないもんね。それ聞いて安心した」
「それはそうと、翡翠様が、瑠璃が戻ったらすぐに湖北村に来てほしいって言ってましたから、村で何かあるのかもしれません」
「そっか、じゃあとりあえず村に行ってくるね」
「一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ、さっそく行ってくるわ」
「気をつけろよ」
 紅貴がいうと、瑠璃がにっこりと笑ってそれに答えた。
「さてと、さっき朝食を一緒にって言ったんですが、実は今、覚信さんに翡翠様と桃華様を看てもらってるんです。いつまでも任せるわけにいきませんし、私は翡翠様と桃華様のところに戻ります」
「じゃあご飯持っていくよ。どこにいるんだ?」
「この建物を出ると、この建物に後ろにもう一つ建物があるんです。そこにいますから、お願いしますね」
「うん、わかった」

 紅貴は白琳の言われた建物に、白琳の分の朝食を運んでいた。食べやすくおにぎりにしたご飯と、朔姫が朝作ったという味噌汁。それに、紅貴が作った卵焼きだ。おにぎりも卵焼きも我ながら上出来だと、紅貴は思う。小さな建物ははいるとすぐに寝台の横で、布を絞る白琳がいた。
「紅貴さんありがとうございます」
「そこで寝てるのは桃華?翡翠は?」
「隣の部屋にいますよ」
 絞った布を眠っている桃華の額に乗せた白琳が紅貴の横にやってきた。
「あら、おいしそうですね」
「おにぎりと卵焼きは、俺が作ったんだ」
「紅貴さん料理できたんですか?」
 白琳が驚いた様子で言う。そんなに、意外なのだろうかと、一瞬思ったが、男のくせに料理をやるのは確かに変わっているのかもしれない。
「昔、厨房をのぞいていたら料理人の下働きに間違えられたことがあってさ、そのまま働いてたんだ。その後も、昔旅していた時に、料理する機会がある時は全部俺が作ってたんだ。一緒に旅してた人が料理まったくできなくてな」
 そう、あの頃一緒に洸を見て回った二人は、料理がまったくできなかった。腕っぷしも強く、今思えば、賢い人物だったのだが、料理は無理だった。鍋で何かを煮れば必ず焦がし、食材の原型を留めていないことも珍しくなかった。そんな二人に呆れて、料理は紅貴がやっていたのだが、普段滅多に褒めない男が、紅貴の料理を褒めていた。紅貴は当たり前のことを普通にやっただけだったのだが、野菜を切る紅貴の姿を見ながらすごいすごいと、子供のようにはしゃいでいた。
「桃華と翡翠、ごはん食べるかな?食べれそうなら俺がお粥作ってくるけど」
「お二人ともまだ起きれないと思います。でも、二人が起きた時にはお願いします」
「うん、まかせて。あと、俺に手伝えそうなことが他にもあったら呼んで」
「はい
と、白琳が頷いた時だった。外が急に騒がしくなった。村人の声、多分さっき聞いた冬梅の声が聞こえてきた。
「お前たち!この村にいったい何の用だ!」
「渡して欲しい子がいるんですよ」
「子供だと!?この村の子は絶対に渡さないぞ」
「白琳、俺、様子見てくるよ」
「えぇ」
 急いで建物を出て、声がしたほうを見ると、先ほどまで子供たちが剣を振っていた場所に、人だかりができていた。剣をもった何人かの男をこの村の大人が囲っているのだ。その中には亮と冬梅の姿も見える。
「すぐに出せ」
 剣をもった男がそう、喚いた。
「勝手にずかずか神社に入ってきて、人を渡せとは、ずいぶんとわかりやすい人攫いが居たもんですねぇ」
 こんな状況だというのに、穏やかな口調でそう言う亮の言葉を聞いていると、急に後ろに引きずられた。びっくりして振り返ると、ひぱったのは朔姫だった。
「私についてきな」
 朔姫が小声で言う。ここは、朔姫の言うことを聞いた方が良いのかもしれない。
「あの、何があったんですか?」
「あの礼儀知らずの男たちの狙いは、多分あんただよ。赤い髪の子供を探してるって言ってたからね。亮と冬梅がなんとかするまであんたは隠れなきゃ」
 それを聞いて、思わず紅貴は立ち止った。靖郭で、翡翠が言ったことを思い出したのだ。翡翠は関所で紅貴を捕まえた偽役人には、本来行くはずがなかった湖北村に行くと嘘をついたのだ。結局湖北村に本当に行くことになり、その嘘は無意味になってしまったが、今この神社に来たのは、おそらく、紅貴を捕まえようとした偽役人の仲間だろう。
「朔姫さん、俺、あいつら倒しに行くよ」
「ちょっと待ちな!」
 紅貴を捕まえようとする朔姫の手を紅貴は振り切る。
「俺のせいで神社が襲われるなんてやだよ!俺のせいなら、俺がなんとかするのが筋だろう」
 紅貴は靖郭でもらった刀をぎゅっと握り、駆け出した。

「赤い髪の子供の子が欲しいっていいますが、そんな子いませんよ。それに剣をそんな風に振りかざすなんて、恥ずかしいですね」
 亮は喉元に剣を向けられいたが、腕をくんだまま朗らかに言った。さらに、頭の中では他のことを考えていた。
(麒翠様が湖北村を嘘に利用したって言ってましたけど、こういうことですか。まったく、人使いが荒い)
「じじぃ!この村にいるのは分かってるんだ!赤い髪の子供を渡せ」
(まったく、もしこの村で妖獣騒動がなかったら本当に麒翠様はこの村に来なかったというのに……どうやら本当に麒翠様の単純な嘘をに騙されているようですね。典型的な体力馬鹿が相手とは、面倒だなぁ)
「じじぃ、話聞いてるのか!?」
「あぁすみません、年ですからねぇ。人の話を聞くのは苦手なんですよ」
亮がそう言うと、横にいた冬梅から苦笑いが聞こえたような気がした。
(それよりも、あの二将軍が珍しく計画的に動いている事件ということは、とりあえずは捕まえて、李京に送った方が良いかもしれませんね。)
「申し訳ありませんがあなた方を捕まえていいですが?」
「何ほざいてるんだ!!じじぃ!状況分かってるのか?」
「お前ら、亮さんを離せ!お前らの目的は俺だろう!」
 突然紅貴の声が聞こえた。まるで、活劇の主人公のような台詞だ。さらに紅貴はその言葉を言った後、刀を抜いた。なかなかその姿も決まっており、本当にどこかのよくある話のようだ。亮はそんなことを思い敵に気付かれないように笑った。
(まぁ、言葉に伴った実力があるかが問題なんですけどねぇ。でも、やる気はあるようだし、やらせるだけやらせてみましょうか)
亮は、物語の英雄や主人公ではなく、助けられる村人の役を演じることに決めた。

戻る | 進む | 小説目次
inserted by FC2 system