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  第四章 星の願いは 1  

 

 慶に着くとすぐに、翡翠は、清院養生所と呼ばれる場所に連れて行かれた。紅貴もそれについていこうとしたのだが、桃華に止められた。
「翡翠と白琳に合流するにしても、この馬と荷物が邪魔だから置きにこう。それに、会わなきゃいけない人がいるし」
「……星の皇子様だっけ?」
 紅貴は、李を発つ時に翡翠に言われたことを思い出しながら言った。
「桃華の友達なんでしょ?どこにいるの?」
 瑠璃に聞かれた桃華は、こくりと頷いた。
「たぶん匠院義塾にいると思う」
「匠院義塾?」
 紅貴が、聞いたことのない単語を不思議に思っていると、瑠璃が説明する。
「匠院義塾っていうのは、この国で兵士を目指す子供が通う国立の学校。ほら、湖北村であった清風いたでしょう?あの子もその学校目指してるって言ってた」
「うん、そこね、私と翡翠の母校でもあるんだけど、多分そこにいると思うの。私についてきて。ついでに、そこに泊めてもらって荷物置いちゃおう」
そう言って歩きだした桃華にに紅貴と瑠璃はついて行く。慶の北には、大きな山があるが、その方角に向かうようだ。
「瑠璃、あの山なんて言うんだ? 」
「仙修山よ。翡翠がまだ、学生だったころは、あの山で実地訓練みたいなことをやった時もあるみたいで、良い思い出が無いって言ってた。桃華も、あの山には虫がいっぱいでもう二度と行きたくないって。なんでも、桃華はその時、兵士になるのをやめようかとも思ったみたい」
「でも、結局、兵士どころか、二将軍にもなれたからすごいよな。まだ16歳の女の子なのに」
「なったばかりの頃は、異例の抜擢ってこともあって、実力がないあんな子娘がとか、縁故採用なんじゃないかって言われたりもして、それなりに大変だったみたい」
「縁故採用?桃華ってこの国の貴族かなんかなのか?」
 桃華の周りに、普通の少女を二将軍にできると疑われるような力を持った人物がいるのだろうか。そういったことに縁がなさそうに思っていた紅貴は桃華がそう言われていたことを意外に思う。
「私も、詳しくはは知らないけど、桃華は、煌李宮で育ったからそう言われたっていうのもあると思う。わたしが初めて桃華に会ったのは、桃華が12歳の頃だったんだけど…どこに住んでるかって聞いたら、煌李宮っていうから、びっくりしたのを今でも覚えてる」
 瑠璃は、そう言うと、どこか遠くを見ように桃華を見た。
「そう言えば、瑠璃って、なんで洸に一緒に来てくれるんだ?翡翠や桃華、あと多分白琳も、たぶん命令されて俺と一緒に洸に行くことになったんだと思うんだけど、瑠璃は違うよな」
 それは、紅貴が、李を発ってからずっと疑問に思っていたことだった。なかなか、瑠璃と話す機会がなく、かといって、こんなことを聞くために、わざわざ瑠璃を呼ぶのも大げさな気がし、紅貴は、ずっと聞けずにいたのだ。
「……洸国でやることがあるの」
 その真剣な声に、不思議と不意を突かれた気がした。何を、と聞きたかったが、何となく聞きにくい。
「……そっか。なんか、俺の国の問題に、巻きこんだみたいになって悪いな。…俺に、できることが何かあったら言えよ」
 紅貴が、そういうと瑠璃は慌てたように首を振った。
「違うの!これは私の問題だから。だから、そんな気にしないで。ね?」
「うん。でも、できるだけ力になれるよに頑張るよ」
 翡翠も桃華も、何かを隠していると、紅貴は感じていた。白琳は、その二人が隠していることを知っているのではないかと、紅貴は思っている。そんな中で、瑠璃だけは、隠し事がないかもしれないと思っていたが、違ったようだ。
(でも、それは、俺も同じだ……いや、俺はもっと……)
 紅貴は、左手をぎゅっと握る。
 知られたらまずいことの一つや二つ、誰にだってあるだろう。
(これで良いんだ。あいつらだって、俺のことを知らない方が良いに絶対に決まってる。翡翠と桃華が隠していることもきっと…)
 それが、正しいことのはずなのに、少し寂しいきがするのははぜだろうか?
「着いたよ〜」
 紅貴と、瑠璃の少し前を歩いていた桃華が振り返ってそう言う。目の前にある門は、閉じられている。一般的な建物の二階建てのようなその門の内側は窺い知ることができず、門の横に立つ、腰に刀を差している門兵らしき人物がこちらをちらちらと見ていた。
「なんか、俺達怪しまれてないか?」
「確かに、私たちは、どう考えても、ここの関係者には見えないわよね」
「大丈夫だよ〜。説明すればわかってもらえるって」
桃華はそう言うと、紅貴と瑠璃の心配をよそに、門兵に話しかけた。
「すみません、ここに入れてもらって良いですか〜?」
 なんとも気の抜けた返事が聞こえた。ここに翡翠がいたら、溜息をついていたことだろうと、紅貴は思った。
「…すみませんが、ここの関係者以外お通ししてません」
 門兵は事務的にそう言った。
「でも、わたしの知り合いがここにいるはずなの。ね、通して」
「……申し訳ありませんが、お通しできません」
「わかったわ。じゃあ、これでお願い」
 桃華がそう言ってとりだしたのは身分証明書だった。
「二将軍として、お願いするわ。通してくれる?」
 そう言う桃華の声は、不思議とどこか楽しそうに聞こえる。
(たしかに、二将軍って言えば通してもらえるだろうな。でも、これで良いのか……?)
 しかし、次に紅貴に聞こえた声は予想に反したものだった。
「お通しできません。それに、あなた方の身分証明書が本物かどうか確認する必要があります」
 門兵がそういった直後、門の上部の櫓に立つ兵が、笛を鳴らした。すると、門の内側から、数人の兵が出てきた。紅貴、桃華、瑠璃はあっというまに兵に囲まれてしまった。
「ちょっと、桃華、これ、どうするの?」
「う〜ん…刀を抜くわけにもいかないし…」
「なんか、俺達よく捕まりそうになるよな」
 危機的状況なのに、あまり危機感を感じないのは、ここ数日でこういったことに慣れてしまったからかもしれない。
「二将軍の鳳華様が、今日、ここに来るという報告はうけていませんし、あなたが鳳華様だとは思えません。鳳華様が若い方だということは聞いておりますが、いくらなんでもあなたのような子供が二将軍だとは思えません」
 そう言った兵士は、兵士としては、若い方だろう。だが、若いと言っても、紅貴が一緒に旅をしている最年長の二人、翡翠と白琳よりは年上に見える。二十代半ばといったところだろうか。 そんな兵士にしてみれば、10歳近く離れた桃華は確かに子供だろう。
「本当なのに〜。身分証明書に、ちゃんと、鳳凰の印押してあるでしょう?」
 桃華が頬を膨らませてそう言ったが、兵は取り合おうとしなかった。
「偽物の可能性もありますから、あなた方を官吏に引き渡します」
可能性があります、といいながらも、偽物だと確信した言い方だと紅貴は思った。
(もしかして、本当にまずいか?でも、桃華は本当に二将軍だし……なんとかなるかな)
 そう、たいして、緊張感もなく紅貴が諦めていると、鋭い女性の声が聞こえてきた。
「待ってください。その方は本当に二将軍の鳳華様です」
 声の主は、背が高い女性だった。歳は瑠璃と同じくらいに見えるが、瑠璃のような年頃の娘が好む、鮮やかな着物ではなく、黒一色の着物を着ている。こちらを見た瞳も着物と、同じ、いや、心なしかそれよりも深い黒に見える。高い位置で一つに結んだ髪は、下ろしても、肩より少し長いくらいだろう。
(なんか気が強そうな子だな〜)
 兵士が、なかなか、紅貴、桃華、瑠璃の三人から離れないでいると、先ほどより、少し穏やかな声で、女が言う。
「鳳華様は、今日、本来お忍びで来られることになっていたんです。ご無礼をお許しください」
 そう、頭を下げた女を見た兵士は慌てたように、跪いた。どうやら、桃華が本物の二将軍だと、やっと気づいたらしい。
「あ、あの大丈夫ですから、とりあえず、中に通してもらえますか?」
 桃華が何も言わずにいると、代わりに瑠璃がそう言った。
(なんというか…いつも思うけど、まるで保護者だよな)
 そんなことを紅貴が思っていると、桃華が何も言わずに歩きだした。どうやら、助けてくれたらしい黒髪の女が門を開け、桃華がそのまま中に入っいった。紅貴と瑠璃もそれに続く。
「……お待ちの方のもとへご案内します」
 助けてくれた女がそう言っても、桃華は黙ったままだ。
(何か変だな……二将軍だと信じてもらえなかったのがそんな嫌だったのか?)
「あ、あの助けてくださってありがとうございます」
 瑠璃が気まずい空気に耐えかねたように言うが、後に続いた桃華の言葉は一見、この事件とは関係のないようなことだった。
「なんであんたが来るのよ!」
 あんた、が誰を指しているのか紅貴は一瞬理解できなかった。急に声を上げた桃華の様子を呆然と見ていると、黒髪の女が、桃華に対峙するように、桃華の目の前に立った。
「あんた、お礼も言えないの?」
 先ほどまでの『鳳華』に対する言葉づかいは消えうせている。黒髪の女に自然、見下ろされる形になる桃華だったが、それで臆する桃華ではないことは、紅貴には分かっていた。ちらりと、桃華を盗む見た紅貴は思わず声をあげそうになった。桃華の茶色い瞳は、黒髪の女を射抜くように見ていた。敵を圧倒させようと、わざと殺気を作りだしたように、紅貴には感じられた。こんな表情の桃華を見たら、先ほどの兵たちも、桃華が二将軍だと信じたかもしれない。
「あんたに、助けてなんか頼んでないわ」
「それでも、あんたは助けられたの!どうせ何も考えてなかったんでしょう?」
「考えてた!いつもなんとかなってるもん!」
「それが考えてないっていうのよ!あんたを見ているとイライラするの!」
(まるで子供の喧嘩だな。この女の人、いったいどんな関係なんだろう?それにしても、この口喧嘩いつまで続くんだろう)
 ちらりと、瑠璃を見ると、目があった。瑠璃は呆れたように溜息をついている。
「桃華いいかげんにしなさい!この人は私たちを助けてくれたんでしょう?お礼くらい言わなきゃだめでしょ?」
「だって!」
「だってじゃないでしょう?まったくもう…」
 瑠璃は、女の方を向くと、桃華の頭を押さえて無理やり頭を下げさせた。
「せっかく助けてくれたのに、桃華がこんな態度で、本当にごめんなさい」
 女は何も言わなかったが、腕を組んで、軽く息を吐いたところを見ると、これ以上言い争う気はないのだろう。
「ほほう。桃華と楊花の喧嘩を止めるとは、さすがは、あの問題児、翡翠の妹じゃな」
 聞きなれない声に、紅貴が後ろを振り返ると、老人がいた。背は、翡翠よりも少し高いくらいだろうか。髪こそ、白くなっていたが、杖をついているわけではなく、腰には剣が差してあった。茶の着物から見える腕には、しっかりと筋肉がついており、武道を嗜んでいるのは明らかだった。
「覇玄!」
「え、桃華、覇玄って、あの覇玄様?」
「瑠璃、覇玄様って?」
「桃華と、翡翠の前の二将軍で、二将軍を辞めた後は、ここの教師をやっているすごい方よ。桃華と翡翠の恩師でも、あるって駿から聞いて……」
「恩師じゃないもん!」
 瑠璃の言葉を遮るように桃華が言った。
「子娘が生意気なこと言うんじゃないわい。それより、翡翠の妹……瑠璃といったかの?これからどうじゃ、私と食事でも」
 覇玄がそう言った直後だった。あっという間のできごとで、紅貴の眼は追いつかなかったが、桃華が脇差を抜いていた。そして、刃と刃がぶつかり合う音がしたかと思うと、桃華の剣を覇玄が受け止めていた。
「その汚い手で瑠璃を誘わないで。歳を考えてよ!」
「フン!まだ子供のお前には言われたくないわい」
「……覇玄様、さすがにお客様にあの発言はちょっと」
「な、楊花も、冷たいのぉ。ところで、生意気な糞餓鬼が一人足りないようじゃが?」
「翡翠のことですか?」
「そうじゃ。あの餓鬼、どうしたんじゃ?」
「よくわからないんですが、翡翠なら力を使いすぎたとかで、白琳に連れられて、清院養生所ってところに行きました」
 紅貴がそう言うと、覇玄は何かを考えるように腕を組んだ。
「相変わらずじゃな、あの餓鬼は。まぁ、壮家の娘が一緒にいったなら、大丈夫だろう。楊花、お前は、豹馬に、剣をみてもらいたいんじゃろう?瑠璃と、あと二人は、わしが案内するからお前はもう言って良いぞ」
 楊花が軽く頭を下げて去っていくと、覇玄は歩き出した。
「そこの、赤い髪の坊主、名は何と言うんじゃ?」
「紅貴って言います」
「駄目な二将軍が二人もいたんじゃ大変じゃろう」
「はい、それはもう…」
 桃華と翡翠がいたことで、助かったことも多いが、紅貴を利用されたりもした。まだ、李を発って数日だが、ここまで濃い経験をしているのは、二将軍の行動によるところが大きいのは気のせいではないだろう
「あの、覇玄様、桃華と、あの女の人、楊花さん?はなんであんなに仲が悪いんですか?」
 瑠璃が不思議そうに問うと、覇玄は面白そうに笑う。
「桃華と張楊花は同じ歳なんじゃよ」
 瑠璃と同じくらいだと思っていたが、どうやら違ったらしい。桃華と同じということは16歳ということになる。
「同じ歳で、ここに入学したのも同時。この国では女でも武官になれるとはいえ、目指す者も、実際になる者も少ない。これだけだと、良い好敵手同士になれそうじゃろう?じゃが、どういうわけか、異常なまでに性格が合わないんじゃよ。楊花は、真面目なんじゃ。じゃが桃華はこんな性格じゃろう?」
紅貴は楊花を思い出す。黒く鋭い眼を持つ楊花は、凛とした姿だった。見た目通りの性格なのかもしれない。一方桃華は一見子供っぽい性格だ。
「なるほど、性格が真逆でいがみ合ってるってわけね」
「今は、まだ良いじゃろうが、楊花がここを卒業して、武官になったら、大変じゃろうな。……ほれ、こっちじゃ」
 どうやら会わなきゃいけない人物がいるという部屋に着いたらしい。覇玄が戸をあけ、中に入ると、そこは畳の部屋だった。部屋の橋、文机の前に座る、少年が、ゆっくりと振り返った。縛った黒髪がさらさらと揺れる。振り返ったその顔は、男の割には可愛らしい顔をしていると、紅貴は思った。少年はこちらを見ると、本当に嬉しそうにににっこりと笑った。紅貴には真似できない笑みだ。
「久しぶり、桃華」
「龍清様!?」
 驚いた声を出したのは、瑠璃だった。紅貴も龍清という名には聞き覚えがあったが、思い出せない。
「なぁ、瑠璃、龍清様って?」
「この国の皇子、皇太子様よ!」
(皇太子!?なんで、そんな方がここに!?)
 紅貴が驚いて、声も出せずにいると、急に桃華が動き出し、龍清に抱きついた。
「龍清〜!久しぶりっ」
 そう言って抱きつくこの国の将軍と、抱きつかれて、顔を赤くする皇太子という、なんとも威厳がないこの国の最高位に限りなく近い二人を、紅貴と瑠璃は、呆然と見ていた。

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