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  第四章 星の願いは 6  

 

「灑碧(さいへき)皇子って知ってる?」
 紅貴は、灑碧という名を聞いたことがなかった。横にいる瑠璃を見るが、瑠璃も知らないようで首を振っている。
「恵国の、亡くなった第一皇子でしょ?」
 桃華が答えると、龍清が嬉しそうに笑う。
「さすが桃華だな。そう、灑碧皇子は恵国での皇位継承権を持った第一皇子だ」
 清風から、桃華に向けられていた笑顔が消え、口調も、淡々とした静かなものになる。
「灑碧皇子は、今から14年前に、火事が原因で亡くなった」
「火事?」
 瑠璃が驚いたように問うた。
「王宮の一部、灑碧皇子が生活する屋敷が焼けて、それが原因で亡くなったんだ。ものすごい火事だったらしくて、まだ子供だった灑碧皇子は助からなかったらしいんだ。恵で今、妖獣が大量に発生してるのはその灑碧皇子の呪いだって噂が流れていたよ」
「……亡くなったとはいえ皇子様ですよね?そんなことが起こるんでしょうか?それに私は呪いで妖獣が現れるとはどうしても……」
 紅貴も、白琳と同意見だった。
「なくなった灑碧皇子というのは、人間離れした容姿だったらしいんだ。目とかが人間のものじゃないみたいだったって噂をきいた。それに、その皇子、まだ幼かったらしいんだけど、皇子の周りでは、物が壊れたり、それに、人もたくさん死んだらしいんだ。そういうこともあって、恵国の人々に、灑碧皇子は恐れられてきたんだ」
「……でも、それ噂ですよね?」
 白琳の言葉に、龍清は頷く。
「一般の恵国の民が、灑碧皇子を見れるわけはないから噂だよ。でも、それがいくら噂でも、恵国での灑碧皇子の認識はそういうものだったんだ。その灑碧皇子、火事で亡くなったっていっただろう。その火事を起こしたのは明汐様らしい」
「明汐様って?」
 瑠璃の疑問には桃華が答えた。
「恵国にはね、灑碧皇子の下に、挺明稜(ていめいりょう)様っていう皇子様がいるの。その皇子の母親が明汐様」
「そう、その方だ。その方が、火事を起こしたって噂をきいた。明汐様が灑碧皇子を殺したって」
紅貴の背を冷たいものがつたる。灑碧皇子は皇位継承権を持っていたといった。ということは……。紅貴は唾をごくりと飲み、龍清に尋ねる。
「皇位継承者ってことはその『証』を持っていた?」
 たずねた声は紅貴自身でもわかるくらいに少し震えていた。それに、たずねるというよりは、確認するといったものに近い。
「双龍国にある国――それも一番歴史が古い国の皇位継承者だったんだから、当然『証』をもっていただろうな」
「『証』をもっていた皇子を殺した……?」
「そういう噂だな。灑碧皇子は明汐の子じゃないんだ。『証』を持つ第一皇子を殺したら、挺明稜様が皇位を継承するからって話だ。自分の子供に皇位継承して欲し……」
「そんな馬鹿なことがなんで起きるんだよ!」
 龍清の言葉を遮るように、反射的にでた言葉は、紅貴自身も驚くような大きな声だった。握った右手は怒りで震え、熱を持っている。『証』を持った者を殺すなど何事だろうか。 ――失った後に後悔しても遅いというのに。自分の国のことではないのだが、なぜか余計に悔しく感じる。怒りのあまり、息がわずかに荒くなっていたが、紅貴はそれに気付かなかった。
「……噂だろ?明汐様が殺したとは限らない」
 翡翠の、冷静な声が言った。寝台の上で体を起き上がらせ、腕を組んでこちらを見る翡翠を見た紅貴ははっと我に返った。辺りを見回し、瑠璃、龍清、白琳が驚いたようにこちらを見ていることに、紅貴は気づいた。
「それに……たとえ、灑碧皇子が『証』を持っていたとしても、証をもっていない皇子より良い帝――王になったとは限らないだろう」
 翡翠の言葉に、再び、怒りが湧き上がるのを感じたが、かろうじて、押しとどめる。
「あの、双竜国では『証』を持つ方が王位を継承するというのは良く聞きます。その『証』って、いったいどういうものなんですか?」
「そういえば、『証』が具体的にどういうものかはあまり知られていないんだったな。継承者の『証』は刺青みたいな感じで、体に現れるんだ。体のどの部分かは、その王家によって違うけど、それぞれの王家の紋章がね。うちだったら、剣を背景に、嘉という字に絡みつく龍がそうだし、恵国だったら、月の中に竹、それを背景に天に昇る龍の様子が描かれているんだよ。ちなみに、嘉の後継者は、胸、ちょうど心臓の上辺りに現れるんだ」
 現れる場所が顔じゃなくて良かったと、龍清は息をついていた。
「明汐様が恵国の、そういう証をもった皇子を殺したって噂がながれていて、亡くなった皇子のそれに対する恨みが呪いになった……それが原因で、妖獣が現れたって 話だ。元々、灑碧皇子に関しては妙な噂がながれてたから、それと結び付けられちゃったんだろうな」
「でも、やっぱり呪いで妖獣が現れるなんて、そんなことありえない!それ以外の原因があるはずなんだ!考えたくもないけど、俺以外の妖獣使いが、妖獣を呼んだって話の方がまだ現実的だよ!」
 紅貴は、着ている服を握る。そう、自分以外の妖獣使いがいるなど考えたくもない。実際には、一人いるのだが、彼女はすでにほとんど力を失っている。紅貴の脳裏を過ぎったのは別の人物の顔だった。奴ならば、妖獣を大量に呼ぶこともできるかもしれない。自分と同じ色の髪を持ち、獣のような黄金の瞳の男。自分を見下ろすその姿は、男でありながら、女のように整った容姿をしていたが、女のような優しい空気は持っていなかった。獣、いや、自身が妖獣のような男だ。わずかに笑みを浮かべる赤い唇は、まるで、獲物の血のようだと思ったのを今でも覚えている。思い出すだけで、寒気がする。――だが、あの男は、もうこの世にはいないはずだ。
「紅貴、大丈夫?」
 ふいに声をかけられた方を見ると、瑠璃の優しい青い瞳が心配そうにこちらを見ていた。
「うん、大丈夫だ」
 なんとかそう言い、現実に戻る。――昔の記憶に囚われそうになっていたらしい。気持ちを切り替えようと、息を吸うと、少し心が落ち着いた。
「というわけで、これから恵に行くなら、妖獣は注意して欲しいんだけど、二将軍にお願いがあるんだ」
「なんだ?」
 龍清に対する敬語が消えている。どうやら、これが龍清に対する、素の翡翠の態度らしい。
「恵国と嘉国の約束で、どちらかの国に災害とかが起きたら、もう一方の国に報告することになっているんだけど、その報告が嘉にきていないよな?嘉国の皇子の代わりとして、正式な形で恵の王宮に訪問して、事情を聞いてきて欲しいんだ。そうすれば恵国を助けることができるから」
「わかったわ。皇子……嘉国の皇太子の代わりね。ねぇ、それに紅貴も連れて行って良い?」
「俺!?」
 紅貴が驚いて声をあげると、桃華が、なんでもないことのように頷いていた。驚く紅貴をよそに、嘉国の皇子の言葉が続く。
「かまわないよ。というより、瑠璃と白琳にも使者としてついていってもらおうと思ってたから」
「ちょっと待ってください!私が他国の王宮にいくなんて!」
 瑠璃が慌てて声を上げている。
「瑠璃と白琳も行った方が見栄えが良いだろう?そんな心配しなくても大丈夫だよ。何か発言しろってわけじゃないんだから。そういうのは、俺の代わりにいってもらう二将軍に任せて、楽しんできなよ」
 そういう問題なのだろうかと紅貴は思うが、龍清は、問題はないというように笑っている。
「これで、話は終わりだけど、実際のところ、恵国がどの程度妖獣の被害を受けているか分からないんだ。だから、気を付けてな。もっとちゃんと調べたかったんだけど、豹馬に止められちゃって……」
「当たり前です」
 聞いたことのない、太い低音がそう言った。障子戸を開けて入って来たのは、見たことのない男だった。背が高く、自然と見上げるようにな形になった男は、いかにも、というような武官らしき男だった。短く刈りあげられた黒髪は堅そうで、切れ長な黒い瞳は怜悧な印象だ。立襟の黒い服からのぞく腕は、太く、鍛えられていた。
 闘ったら強いんだろうな〜。
 見た目は、二将軍の桃華と、翡翠よりもはるかに強そうだ。腰にさしてある大きな白い剣の鞘には、鷹の模様が入っており、それがそのままこの男を表しているようだと紅貴は思った。
「固いこというなよ。豹馬」
「どんなに遊び歩いているとはいえ、仮にも、皇子であるあなたを妖獣が出るとされてる場所に留まらせるわけにはいきません。……ご挨拶が遅れました。私は、ここにいる駄目な皇子、龍清様の護衛役を務めています、豹馬です。麒翠様と、鳳華様はお久しぶりですね」
「久しぶり」
 桃華がいつもの口調でそういうと、豹馬は軽く頭を下げた。
「どこかの皇子のせいで嘉に戻るのは久しぶり何じゃないか?」
 翡翠に聞かれた豹馬は頷く。
「さんざん連れまわされましたから。……身体の方は大丈夫ですか?」
「……あぁ」
「で、何の用だよ、豹馬」
「龍清様にお客様がいらしゃってます。皆様とお話が終わりましたら、わたしと一緒にいらしゃってください」
「仕方ないな。ちょうど話も終わったところだし、今行くよ」
「最後にいいか、龍清。……なんでそんなに恵にこだわるんだ?」
 もう、完全に翡翠は敬語ではなかったが、龍清は気にしていないようだった。
「この街、慶はもともと恵国からの学問の先生を招いて作った都市だ。この街が、恵国と同じ響きを持っているのは、そのためだな。そもそも、嘉国ができたのも、恵国があったからだ。翡翠も知ってるだろう?」
 翡翠は何も答えなかった。
「嘉国は慶国に恩がある。だから、助けるのは当たり前だろう?何より、今後の嘉と恵のためにもな」
そう言って、翡翠を見る龍清からは、強い意思が感じられた。紅貴自身も、その強い意志に、心が温かくなるのを感じた。しかし、なぜか翡翠の表情は少し険しかった。そんな翡翠を、桃華が無表情で見つめていることに紅貴は気づいた。
「……わたしたちもそろそろここ、出ましょうか」
 瑠璃の言葉に、白琳と桃華が動き始める。
「桃華、ちょっと待て。匠院義塾から、弄国関係の資料を、できるだけたくさん借りてきて欲しい。本当は俺が取りに行きたいんだが……」
「最低でも5日はおとなしくしてくださいね?」
 白琳がにこりと笑って言う。綺麗な声だった、どこか強い印象の声に、翡翠は黙ってしまっていた。
「わかった。持ってくる。でも、調べものも良いけど、あまり無理しないでね?」
 桃華にそう言われた翡翠は、溜息をついていた。桃華の言葉にとどめを刺されたようだと、紅貴は思った。

 翡翠がいる養生所を出た瑠璃は、街中を歩くことにした。慶の東が一番にぎやかになるのは、夜だが、昼間のこの時間も十分人が多かった。
「お譲さん、簪はいかがかね。瞳の色にぴったりだよ」
 店の主人の手に握られた簪は、青い花があしらわれ、日の光をうけて輝いていた。主人が手を動かすと、反射してまぶしい。瑠璃が、簪を見ていると、その店に見たことがある後姿があることに気づいた。
「楊花さん?」
 瑠璃の声に振り返った女は、やはり、楊花だった。桃華と同じ歳だというその女は、桃華よりも歳上に見える。――ひょっとしたらわたしより大人っぽいんじゃないかしら、と瑠璃は思った。こうして見ると、綺麗な子だ。まっっすぐな黒い瞳は、黒曜石のようで、そこだけは年相応の純粋さがあるような気がする。髪は括ってあるだけだったが、日の光をうけて、つやつやと輝く髪は、とても綺麗だ。白琳が、花のような美しさをもっているとしたら、楊花は日の光を受けた緑の葉のような美しさがある、と瑠璃は感じた。絶世の美女というわけではなかったが、まっすぐな心がそのまま表れたような、綺麗な子だと、瑠璃は思う。
(こうしてみると、桃華と喧嘩していたなんて信じられない)
「何か御用ですか?桃華と一緒にいた方ですよね?」
 癖なのだろうか。腰にさした剣に手を乗せたまま訊ねてくる。
「わたし、瑠璃っていうの」
 名を名乗った瞬間、なぜか楊花は驚いた表情を見せた。
「あなたが?」
「わたしのこと知ってるの?」
「えぇ」
「ねぇ、良かったらこれから私と食事でもどう?」
 楊花はこくりと頷いていた。

 食堂に入り、案内された席は、路に面した場所だった。壁がほとんどなく、開け放たれている場所は、春の風がおだやかに吹き、気持ちが良い。運ばれてきた、炒飯と、餃子が、赤い卓の上に並べられたが、それに手をつけることなく、楊花が話し始める。
「駿から、あなたのことを聞いたことがあります。駿が、あなたのことを話す時はいつも嬉しそうでしたよ」
「楊花は、駿の知り合いなの?」
「子供の頃、同じ孤児院で育ちましたから」
「孤児院?」
 駿が孤児院で育ったなど、聞いたことがなかった。
「はい。わたしも、駿も、それから、駿の弟の豹馬も両親がいませんから、孤児院で育ったんです。だから、兄弟みたいなものだと思います。……駿は自分のことをあまり話したがりませんからね」
 そういえば、そうだと瑠璃は思った。瑠璃と一緒にいる時、駿は、常ににこやかに笑っているし、色々面白い話をしてくれるのだが、駿自身について話すことはあまりない。だから、駿が幼い頃の様子など、瑠璃が知るはずがなかった。だが、目の前にいる少女は、一緒に生活していたのだから、当然知っているだろう。
「駿が子供の頃ってどんなだったの?」
「今とそんな変わりませんよ。昔は、憧れの兄のような存在でした。 勉強も教えてくれました。剣も強かったですし……それに、畑を耕すのもうまかったんです」
畑を耕す駿というのは、なんとなく意外な気がし、瑠璃は思わず笑った。李京では、駿は、少女たちの憧れの存在である。それは、物語に登場する皇子に対する憧れのようなものに近いと、瑠璃は思っていた。そんな駿が畑を耕していたなどと知ったら、少女たちはさぞかし驚くだろう。
「それに、優しい人です。昔、孤児院があった村が、盗賊たちに襲われたんです。駿は、剣が使えましたから、郷兵が来るまでの間、大人たちと一緒に、戦いにいったんです。その時、わたしも行こうとしたんですけど、駿に止められて……帰って来た駿は、返り血を浴びて血だらけで……。せっかく私たちを助けてくれたのに、怖くなって、私、駿のところから逃げちゃったんです。それでも駿は、笑みを浮かべるだけで。拒絶されても、温かく接してくれる駿は優しい人だと思います」
「そう……昔から駿は優しかったのね」
「それと同じくらい黒い部分も……いえ、なんでもありません」
「そういえば、桃華とは仲が悪いみたいだけど、どうして?」
「……あの子と、仲良くなることは一生ありません。あのへらへらしている態度、何も考えずに、思いつくままに動く姿……!どうしても、相容れることができません」
 そういう楊花は、きっと見た目通りの、真面目な性格なのだろう。
「でも、楊花から見ても、やっぱり桃華って強いんでしょう?」
「……剣の腕だけなら、天才と呼んでも良いでしょうね」
 瑠璃はふと、翡翠が言っていたことを思い出す。何年か前のことだ。瑠璃は桃華が武道に長けているとは信じられず、翡翠に今楊花に尋ねたことと同じことを聞いたことがあるのだ。
――若い女だと、見下してるやつも多いが、あいつは、剣に関しては天才だ。……あんまり、天才という言葉は使いたくないが、そうとしか言いようがない
そう言って、珍しく笑った翡翠を不思議に思ったものだ。
「やっぱり、桃華って強いのね。本気で闘っているところを見たことがないけど」
「そういうところも腹たつのよ!……でも、それで良いと思ってます。剣の腕はたしかで、でも腹が立つわがままな女。あの子を認めるのは剣の腕だけで十分です。剣以外も認めたくなるような性格のあの子なんて見たくもありません」
 他は意地でもみとめないというように、楊花は首を振っていた。
「そういうものなの? 仲良くすれば良いのに」
 瑠璃が聞くと、なぜか楊花は噴き出すように笑った。
「本当にまっすぐな方なんですね、あなたは。駿が大切にするのもわかります。駿は、心が綺麗な方が好きですから……ただ……」
笑顔が消え、目が伏し目がちになる。
「駿は、駿にとって大切なものを守るためだったら、どんなこともやる人です。返り血を浴びた駿を見て、わたしはそう思いました。たとえ駿がどんなことをやっても、もし駿を大切に思うなら見守ってあげてください」
 瑠璃は、思わずこくりと頷く。路に面したこの場所は、路を歩人々の話声が聞こえ、にぎやかだった。しかし、今の瑠璃に、街の声は聞こえていなかった。瑠璃は、楊花の言葉の意味を考えていたのだった。

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