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  第五章 それぞれの思い 7  

 

  双龍国小国群。嘉国や恵国、洸国がある大陸、双龍国にあって、国土の面でも、人口の面でもそれほど大きくない国が集まった地は、小国群と呼ばれていた。その国の一つ、修国に汐 駿は向かっていた。弄国に向かう途中、修国にも寄ろうと思ったのは、ほんの気まぐれだった。
 小国群の国の一つ、弄。嘉から小国群に抜けても、行くことはできるのだが、恵から弄に向かった方が近いため、駿は、先に恵国に寄っていた。龍清から聞いて分かっていたことだが、いくつかの街や村を巡っている途中、恵国の人々は、しきりに灑碧の噂をしていた。
 人とは思えない姿を持つ灑碧。皇位継承者の証を持ちながら、その容姿で、周囲から疎んじられていたと聞いた。龍清も言っていたことだが、灑碧の周囲では、人もたくさん死んだという。そんな灑碧を、第二皇子挺明稜の母親、明汐が殺し、その恨みが呪いとなって、恵国を襲っていると。妖獣に襲われた村にも行った。実際、出会った人々は灑碧への怒りと、憎しみを口にしていた。
 しかし、そんな人々に出会ううち、駿は違和感を感じた。噂というものは、広がるうちに内容が少しずつ変わっていくものだが、灑碧の噂は、どんな場所で聞いても、内容がぴたりと一致している。それにそもそも、恵国では、嘉国と違って、皇族と民との距離は遠い。恵国の民にとって、皇族はかけがえなくも、畏れ多い存在だと聞いていた。本来、噂として、こういったことを口にされるのも憚れる存在のはずなのだ。
 実際、現在の恵の王――恵では帝と呼ぶらしいが――がどのような人物であるかは、恵国の民の間から聞くことは無かった。けれども、灑碧の噂はどこでも、聞くことができたし、その内容は、噂のはずなのに、どこでも聞いても同じだった。
 何かがおかしい。駿は、恵国で感じた違和感を拭えずにいた。
 恵国には、鳳軍の将、鳳華が向かっている。当然、恵国のおかしさには、彼女も気づくだろう。きっと、彼女のことだから、その原因も突き止めるに違いない。
 鳳華が恵にむかっているのだから、駿が、気にすることは無い。けれども、何か知ることができたら、儲けものだとも思っていた。
 修には王も法も存在しない。逆にいえば、それは、国と言う概念に縛られない。つまり、他国では、得られない情報も得られる可能性があると、駿は考えていた。運が良ければ、恵国の情報も得られるかもしれない。それに、駿は、ずいぶん前から修で調べたいことがあったのだ。

 修に着くころには、日が大きく傾いていた。修の門の内側から、赤い灯りが見える。乗っていた茶の天馬から降りて、手綱を引いて、門の内に入った。門の両端に、大きな剣を刺した屈強な武人がいたが、一瞬、こちらを見ただけで、何も言わない。他国とは違い、修に入るのに、身分証明書は必要ないのだ。それでも、門に武人が立っているのは、修から人を出さないようにするためだ。
「離せ!」
 幼い少年らしき子供の声が聞こえた。声がした方を見ると、先ほど門にいたような武人に、子供が取り押さえられていた。修を囲むようにして張り巡らされた塀に、頭や手をぶつけながらも子供は暴れる。武人に抑えつけられ、それでもその手から逃れようとしていた。武人から逃げようとして、武人の腕を払おうとした手、その手首には鉄でできた輪、手枷がついていた。修国の赤い灯りに照らされて、鉄で出来た銀の手枷が鈍く反射した。
――修国に売られた子供だ。
 銀色の手枷は、修国に売られた子供のしるしだ。
 どの国でも、国内での人身売買は禁じられているが、修にはその法が無い。嘉国では、国外へ売ることも禁じられているが、国外へ売ることには言及していない国も少なくない。
 小国群にあるような小さな国では、食うに困る子まで養う体力は無いのだ。国外、といっても、だいたいどこの国でも、人身売買は禁じられているから、唯一、それが許されている修へ子供を売ることを黙認している国がある。
 そして、そういった国では、他国からの難民を受け入れていないことが多い。ただでさえ小さな国では、難民を受け入れる余裕がないのだ。受け入れてしまえば、その国自体の存亡の危機を招いてしまう。
 法も王も無い地、修。それでも、修が消滅しないのは、修が、人身売買という形であれ、食うに困り生き場に困る人々を唯一受け入れている地だからだ。けれども、やはり修は無法地帯だ。
 修の人買いに買われた子供は、さらに他の者の手に渡る。女であれば、修の西にある遊廓に、金と引き替えに渡される。修の西にある遊廓では、その遊廓内でのきまりやしきたりがあるというが、駿はよく知らなかった。
 男であれば、兵として渡される。小国群には、烽国と津国のように、長い間争っている国がいくつかあった。武の才があれば、暗殺家業を生業とする者に育てられることもあるが、ほとんどの子供は、盤上の駒のように、兵として扱われる。
「離せ! 俺はここから出る!」
 ほとんど叫んでいると言って良い声だった。子供は、今持てる力全てで抗おうとしているようだった。黙っていられなくなって、腰にある剣の柄に手をかけようとして、やめた。
 修には、売られた子供などたくさんいる。あの、子供を助けたところで、修に売られた子供は、たくさんいて、駿には、全員を救う力があるわけではない。そう思うと、目の前で叫んでいる子供を助けてはいけないような気がした。
 結局、あのような子供を生まないためには、全ての国が豊になるしかないのだ。そして、『汐家』はそのためにあるはずだ。血のつながりでは無く、素質で継ぐ姓『汐』。それがどういう意味を持つか知っている家など限られているが、『汐家』は、双龍国の仕組みを維持するためにある。そこまで考えて、駿は思った。
 だとしたら、まずしい国があり、修に売られるような子供が生まれるのも、全部とは言わないが『汐家』の責任ではないだろうか。
――貧しい国には、共通点ああるんだよな……。
 そんなことを思いながら、駿は同時に、自分のことを考えた。駿は、小国群にある、貧しく小さな国で生まれた。
 きっと、育てていけなかったのだろう。母親に飴を渡され、路に置いて行かれた。
「ここで待っていてね」
 そう言った母親はもう二度ともどってこないと分かっていたが、弟の豹馬の手を握り、じっと立っていた。本当に貧しい家だったから、甘いものなど食べたことがなく、初めてなめる飴だったが、ほとんど味が感じられなかった。
 幼い頃だったから、母親の記憶はほとんんど無いのだが、最後に言われたその言葉と、消え入りそうな声だけは覚えていた。
 その後、あてもなく彷徨い、流れるようにして嘉に着いた。
 駿は再び、子供の方へ目を向ける。子供の口には布が当てられていた。薬を嗅がされたのだろう。
 自分も、一歩間違えれば、あの子供のようになっていたかもしれない。そう思うと、何かをせずにはいられなかった。剣の柄に手を手をかけようとしたが、それより少し早く、女が武人の前に飛び出した。
 長い着物と、腰に巻かれた、柔らかい帯が嘘のように、女は軽やかに舞ったのだ。
「その子供、私が買うわ」
 紫色の裾が長い着物を着て、銀の簪をさした女。その女は、駿の知り合いで、これから会おうとしている女だった。駿は、女の横に並ぶ。女が持っていた煙管から出る煙がこちらに流れてきていたが、駿は気にしなかった。
 子供を取り押さえていた男たちが、目をまるくして女を見ていたが、女がくつくつと笑う。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう?」
 女はそう言い、差していた簪をほどいて、武人に渡す。取った瞬間、束ねていた黒髪がほどけて、ふわりと揺れた。
「驕国の簪。本物の銀で出来ているうえに、宝石も埋め込まれているわ。蔡花の職人が彫った彫刻だから、売れば、かなり高いわよ。その子供を兵として売るよりも、良いお金が手に入るはずよ」
 そういうと、男は何も言うことなく、子供を女に引き渡した。
「その子供、背負いますよ。麗羅さん」
「あら、ありがとう、駿君。それで、今日はどんな要件かしら?」
 女、麗羅は、艶やかに笑って言った。赤い紅が塗られた口がわずかに上げられて、作られた笑みは、妖艶だ。
「少し知りたいことがありまして」
「ついてらっしゃい」


 麗羅についていき、酒場に着いた。麗羅は、修で、この酒場を経営していた。自分の母親と言ってもおかしくない年齢はずの女性なのだが、そうとは思えないほど、外見が若々しい。
 麗羅に案内され、駿は引かれた椅子に腰掛ける。駿の背で、すやすやと眠っている子供も、横に座らせるようにした。しばらくして、何も言っていないのに、駿が好む辛めの酒が出てきた。
「それで聞きたいことって?」
 麗羅が顎を手に載せて言った。
 酒場をやりながら、裏では、様々な情報を売っている麗羅なら知っているかもしれないこと。いや、これから聞こうとしていることは、修にいたはずの人物のことだから、知っているに違いない。ずっと、知りたくて、でも、聞かずにいたことだ。駿は、麗羅の黒い目を見て、言う。
「麗羅さんは、修の人だから知ってるんじゃないかと思って。修に、昔、翠色の目を持つ子供がいましたよね?その子供が、修に来た経緯をご存じですか?」
「知ってるわよ。その子供、と言っても、今はもうあなたと同じ歳くらいになっていると思うけど、赤い髪の男にここへ売られてきたの。その前は……ここからの情報は高いわよ?」
 駿は、首を振る。
「いや、それだけ分かれば十分です。ここに来る前何があったかはだいたい想像つきますから。ありがとうございました」
「その子供が、ここで何をやっていたかは聞かないの?」
 駿は再び首を振る。
「これ以上は聞くつもりありません。知る必要もないし、多分、あいつ、話したがらないだろうから」
 自分が知りたかったこと。赤い髪の男の話を聞ければ、それで十分だ。今回ばかりは、翡翠をからかうために情報を集めたわけではないのだから。


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