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  第一章 北の青い空 7  

 王に無事奏上することができた紅貴は、煌李宮、賓客殿に案内され、そこで一夜を過ごした。目が覚めた頃には、すっかり日は昇り切っていた。明るい陽光が一 杯に差し込んだ部屋を見渡すと、入口近くに、女官の少女が、笑顔を浮かべて立っていた。歳は、紅貴と同じくらいに見える。
「もうすっかり昼ですよ。何度起こしてもお目覚めにならないんですから」
「すみません。朝弱くて……」
 少女はにっこりと笑うと、年相応の明るい声で言う。
「長旅でお疲れだったんでしょうね。龍孫様が、昼食がすんだら、会いたいとおっしゃってましたよ」
「そうか」
「それから、駿様が、紅貴殿がお目覚めになり次第会いたいと……」
 そう言うと、女官の少女は、紅貴でもはっきりとわかるほどに、顔を赤らめた。
「お通ししてよろしいでしょうか?」
「構わないけど、駿様ってどのような方なんですか?」
 少女の顔はますます赤くなる。
「それはもう、かっこよくって……。あの笑顔、優美な仕草……堪りませんわ!しかも、今、21歳でいらっしゃるんですけど、わずか18のころに麒軍に入られたって言う、とても優秀なお方なんです。紅貴殿は、嘉の武官で、もっともかっこいい三人をご存じ?」
大人しいと思っていた少女の突然の豹変に、紅貴は圧倒させられる。紅貴の返事を聞くより先に、少女の話は続いた。
「麒 軍将軍、二将軍の翡翠様に、皇太子付きの直属護衛官で、駿様の弟の豹馬様。それから……麒軍の、若き天才駿様!どのかたもかっこ良いんですけど、私は駿様 が一番好きですわ。翡翠様も豹馬様も無愛想でいらっしゃるけど、駿様だけは違います!あの爽やかな笑顔!なんて素敵なのかしら」
「……たしかに18で麒軍ってすごいですね。鳳軍と麒軍って、嘉でもっとも強い軍なんですよね?」
挙げられた三人の中に、聞いたことがある名があった気がしたが、紅貴はあえて気にしないことにし、話を続ける。
「それはもう。素敵ですわ……!」
「その、駿という方を呼んできてもらっていいですか?」
 紅貴が淡々とした口調でいうと、少女は嬉しそうに部屋を去って行った。
 少女が去った後、紅貴は急に疲労感を感じた。
(いまどきの女の子ってすごいな……)
 たかがかっこいい男の話であそこまで熱くなれるとは……と、紅貴はため息をついた。たまたま用意されていたお茶を口に含んだ紅貴は肩をなでおろす。
(そういえばあの子、翡翠が麒軍将軍って……)
 改めて考えると衝撃的な事実だ。紅貴は、驚きのあまり持っていた湯呑を落としてしまった。
(嘘だろ……!あんな性格悪そうなやつが将軍なんて……  いや、ちょっとまてよ。もしかしたら同じ名前の翡翠がいるのかもしれない。うん、きっとそうだ。あんな性格の奴が将軍なわけないよな)
 嘉の官位は、頭の良し悪し、武道の優劣だけではなく、 立ち居振る舞いや、言葉づかい、その者の持つ品格などが問われるというのを、紅貴は聞いたことがあった。だとすれば、翡翠が将軍だというのは考えにくい。そう思おうとしたが、翡翠が、上官の命令を、不満も言わずに聞いている様子がどうしても想像できなかった。
(やめよう……これ以上考えるのは。翡翠が何者だろうと、俺には関係ないし)
 そう考え、溜息をついて、溢したお茶を片づけていると、先ほどの少女が頬を赤らめて戻ってきた。
(……花が飛んでる)
 少女を見た紅貴はまず最初にそう思った。顔を赤らめ、にっこりと笑い、これ以上の幸せはない、というような雰囲気をだしていた。 少女の桃色の着物が余計にそれを際立たせている。しかも、真昼の明るい陽光が、少女を効果的に演出している。 人によっては、こういう少女をかわいらしいというのかもしれないが、 紅貴はこういう少女の対応の仕方を知らなかった。はっきり言ってしまえば苦手だった。
「駿様をお連れしました」
少女がそう言うと、部屋に一人の青年が入ってきた。
(たしかに、これじゃあもてるだろうなぁ……)
  紅貴は駿をみて妙に納得してしまった。背はすらりと高く、顔はどこか中性的な印象だった。筋が通った鼻も、涼やかな黒い瞳も、柔らかそうな唇も、男性にし ては白い肌も、並の男にはないものだった。どちらかというと、細身の青年は、武官というより、文官といったほうが似合うような気もしたが、服はまぎれもな く麒軍のものであり、腰に大きめの剣があった。
「ここまで案内してくれてありがとう」
 駿は爽やかに笑ってそう言うと、少女は、今にも卒倒しそうなように紅貴には感じられた。
「あの……あなたが駿様ですか?」
「そうだよ。俺の名は駿。ここで武官をやっているんだ」
「俺は、紅貴。俺にいったい何の用でしょうか?」
「ちょっと話をしてみたいと思ってね」
 駿はそう言って笑った。

 駿は、近くにあった椅子を引き、そこに座る。しばらくの沈黙を楽しんだあと、駿は、静かに、さりげない感じで紅貴に話しかけた。
「その髪の色珍しいね」
「はい。よく言われます」
「翡翠にも言われた?」
 駿は友人に話しかけるように、軽い調子で紅貴に話しかける。紅貴は、なんでもない様子で、それに答えた。
「はい。言われました」
 駿は、会話を楽しんでいるそぶりで、笑顔で相槌を打つ。彼の中で考えを巡らせながら。
「あの、駿様は翡翠を知っているんですか?」
「知ってるよ。彼とは昔からの友人で、今は俺の上司だからね」
「上司ってことは、翡翠は本当に麒軍の将軍、二将軍なんですか?」
 驚いている様子の紅貴に、駿は笑顔を作った。
「そうだよ。そういう紅貴君こそ、翡翠とは知り合いなの?」
「えっと……実は道に迷ってた俺を煌李宮に連れてきてくれたのは翡翠で……」
「そうか。あいつと一緒なんて、大変だっただろう。無愛想だし、冷たいし」
「友人の駿様に言うのもなんですが、それはもう……」
 駿は、やっぱり自分の考えは合っていたと確信する。翡翠が紅貴を煌李宮に案内した理由は、おそらく自分の推測で合っているだろう。それを確認するために、駿は、態度を変えることなく、切り札とも呼べる言葉を使うことにした。
「紅貴君、君とは話が合いそうだね。翡翠は、ほんと、どうしようもないやつだよね。君とは良い友達になれそうだ。同じ友人として、駿様なんて呼ぶのやめてもらるかな?俺、汐 駿(せき しゅん)のことは、駿って呼んでよ」
駿はそう言って、爽やかに見える笑みを浮かべた。
「え……あ、は、はい」
  駿には紅貴の動揺が手に取るようにわかった。何も知らない人間なら、駿の今の言葉に動揺する要素はないはずである。しかし、紅貴は動揺している。それは、 おそらく、駿の姓『汐』に。しかし、『汐』の意味を知っている人物は限られている。紅貴が『汐』の意味をしっているとすれば、やはり、予想は的中したとい うことになるだろう。駿は話を続けた。
「ごめんね。驚かせちゃった。いきなり今日知り合って、そんなこと言われても困るよね。しかも、『石』(いし)って書いてせきって読む名字なんて変わってるんだし、それは驚くよね」
「そんなことないです。俺も新しく友人ができるなんて嬉しいです」
 紅貴の顔からは安堵の様子が窺われた。やはり、紅貴が驚いたのは『汐』という、姓にたいしてだったのだ。だとすれば、話したいことが駿にはあった。
「紅貴君は、洸に行っ洸国を救うんだろう?」
 駿は、真剣な様子に聞こえるように、少しだけ声の調子を変えた。
「……なんでそれを知っているんですか?」
「仕事がらね。……あとで、龍孫様から聞くと思うけど、紅貴君に同行するのは、嘉国の二将軍、翡翠と、桃華ちゃん。それから、医者の白琳、翡翠の妹の瑠璃ちゃんだよ。……いずれも俺の友人だ」
 駿はそう言って、少しだけ悲しげに見える表情を見せた。目線を少し下に下げる。駿は、自分の容姿がこういう場面出で役に立つことを知っていた。駿は静かな声で言葉を続ける。
「洸っ て言ったら、生きて返れるかわからない場所らしいね。そこに行くとなると、みんな生きて返れるか……。翡翠も、桃華ちゃんも二将軍だし、王の勅命は絶対だ けど、凛河の盟を破ることになる。それが洸に見つかれば、どんなに二人が強くても、どうなるかわからない。もしかしたら、その影響で嘉に大きな被害をもた らすかもね」
「はい……」
「4人を送り出す友人、知人、家族もつらい思いをしているだろうねぇ。実際俺もつらいしね」
駿はそういって悲しげな笑みを見せる。
「官は王の命に逆らえないし、誰かが洸を救わなきゃいけない……!それはわかっているんだ…… 。でも、俺と、俺じゃなくても、あいつらを洸に行かせるのはつらい。もしよかったら……王にした願いを下げてもらえないかな……」
「駿……」
 紅貴は、明らかに動揺が見える様子で駿を見た。
「ごめん!俺、なんてことを……今の言葉は忘れてくれ」
 駿はそう言って、賓客殿を去って行った。

 駿が去ったあとも、紅貴の脳裏から、駿の悲しげな顔が離れなかった。駿の言う通り、自分がやろうとしていることは、たくさんの人の悲しみを生む行為なのだ。駿のような思いをしているのは、駿一人ではないだろう。しかし……
 紅貴は故郷を思い出す。このままいけば、故郷でたくさんの人が死ぬかもしれない。それに……。紅貴は自分の手を握った。ある、かけがえのない人物が死んだ。それをとめられなかった自分。それを償わなければならない。
 時に、残酷な決断をしなければならない。それが、自分の置かれた立場なのだ。それができなくて、あのようなことになったのだから。
「駿悪い……。」
 許してくれ、というつもりはない。時に非情な決断をし、何を最優先にするかを考えなければならない。それができなければ、もっと酷い事態が起こるかもしれないのだ。だとすれば、やるべきことは一つだった。
「せめて、洸をなんとかしよう……まってろよ、聡翔」
 紅貴は故郷で待つ人物に向かって、そう宣言した。

「お人が悪いですね。駿殿」
「お話聞いていたんですか?康亀様」
「気づいていたでしょう?」
「一応、武官やっていますから、人の気配には鋭いつもりです」
「あの少年には酷ですが、周りの悲しみや、苦しみ、そう言うものを踏襲してまでも突き進まなければならない、そうですね?」
「優しいだけでは、無理ですからね。ごく、軽く試練を与えたまでです」
「名演技でしたね」
 駿は、くすりと笑みを浮かべる。
「たまには『汐家』の仕事をしないと、罰があたりますから」
 そう言って、汐 駿は、いつもどおりの麒軍の仕事に戻って行った。

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