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  第一章 北の青い空 8  

「きや〜!」
 煌李宮のとある一室、ガタガタという音とともに、少女の甲高い悲鳴が上がった。ちょうど部屋の外の回廊では、宮中に勤める数人の女官が掃除をしているところだったが、女官たちが驚いた様子はない。
「またですね」
「まだ前回の雪崩から一日しかたっていませんのに……」
「鳳華様ったら相変わらず困った方ですわ」
「私、様子を見てきます」
 一人の少女がやれやれというように桃華の部屋に向かった。

「いった〜い!」
  桃華の部屋では、宮中ではなかなか見ることができない光景が広がっていた。床には大量の巻物と、ぬいぐるみがばらまかれ、本来見えるはずの床が見えなく なっている。本来巻物が入っているはずの黒い漆でできた書棚には、なぜか巻物ではなく、飲みかけのお茶が入った湯のみが置かれている。そんな部屋の中 心……床の上というよりは、巻物でできた小山の上に、この部屋の主、桃華は座っていた。
「桃華様大丈夫ですか?」
 部屋に入ってきた女官の少女を見た桃華は、へらりと笑う。
「うん、大丈夫〜」
「ところで、さっきの物音どうしたんですか?」
「なんかね〜、探し物してたら物が降ってきたの」
 女官の少女は首をかしげる。
「探し物をしていて、どうしてこうなるんですか?」
「わかんないけど、普通に探し物してたら、巻物がたくさん落ちてきたの」
「そうですか。ところで、その探し物見つかったんですか?」
 桃華は首を横に振る。それをみた女官の少女は桃華に優しく微笑みかけた。
「わかりました。私も探し物を手伝います。でも、まずは、ここを片づけないと探し物は見つからないと思いますよ。ですから、まずは片づけてから探しましょう」
「でも、片づけなんてしてまにあうかなぁ……」
桃華は床を見てうつむく。
「どういうことですか?」
「あのね、午後に、翡翠が実家から帰ってくるから、帰って着次第話し合いなんだけど、その探し物ね、翡翠からの借り物で、その話し合いで使うの……」
「探し物って翡翠様からの借り物なんですか……!?それ、見つからないと翡翠様に怒られますよ!」
「うん……どうしよう〜!可憐〜」
 桃華はそう言って、自分の桃色の着物を握る。可憐と呼ばれた女官の少女は、桃華のほうを見て、少し早口で言う。
「桃華様、落ち着いてください。片付ければ必ず見つかりますから。その、翡翠様からの借り物っていったいどういったものなんですか?」
「あのね、巻物〜」
「巻物ですか!?」
 可憐は桃華の部屋を見渡した。そこにあるのは、大量の巻物だ。
「桃華様、巻物に特徴とかないんですか?」
「え〜と……とにかく深い緑色で、内容は弄国正史と、弄と嘉の盟約についての写し。全部翡翠が書いたやつだから、筆跡は翡翠のだよ」
「わかりました。片付けながら探してみます」

 数十分後、可憐に、部屋の隅で、動かないように言われた桃華は隅で、猫の縫いぐるみを抱いて座っていた。暇を持て余した桃華は、可憐に話しかける。
「ねぇ、可憐、紅貴って知ってる?」
「紅貴殿って、赤い髪の方ですか?知っているも何も、今、私が紅貴殿の身の回りのお世話をしているんですよ。そしたら昨日、それがきっかけで駿様に会えたんです……!あの、素敵な笑顔!!堪りませんわ……!」
「駿かぁ。なんであんなに人気あるんだろうねぇ〜。たしかに顔はかっこいいのかもしれないけど、え〜と、私にとっては良いお兄ちゃんのようなものだけど、駿性格悪いでしょう。なんで人気あるの〜?」
桃華は猫の縫いぐるみの手をふにゃふにゃと動かしながら、なんでもないことのように可憐に話しかけた。可憐はといえば、信じられないというように、驚いた様子で 桃華を見る。
「桃華様!駿様は性格悪くありません!きっと、優しくって、頼りになる方です!そうじゃなきゃ、あんな素敵な笑顔が似合うわけがありませんわ」
「素敵な笑顔、か。なんか友達の可憐がそういうこと言うと、やだな〜。なんか可憐が騙されているみたいで」
「駿様は人を騙したりはしません!……ところで、話変わりますが、紅貴殿っていったいどういう方なんですか?紅貴殿に直接聞いてもあんまり詳しいことを教えてくれないんです……。桃華様し知ってますか?」
「紅貴は、洸国の難民だよ〜」
 可憐は、種類別に巻物を分ける手を止め、桃華の方を見た。
「洸って、あの洸ですか?」
 桃華は頷いた。
「ずいぶん遠くからいらしゃったんですね。長旅をしてきたとは聞いていましたけど予想以上ですわ」
 洸国と言えば、双龍国の最北部に位置する国だ。南の嘉からみれば確かに遠い。
「ところで、なんか、こうして何もしないの悪いし、私に手伝えることない?」
「いいです!桃華様はそこで大人しくしていてください!」
可憐はそういうと、再び部屋の片づけをはじめてしまった。
「あ、深緑の巻物一つ見つかりましたよ。中身確認してみてください」
 桃華は可憐から受け取った巻物を開く。書道の手本のような見事な達筆はは間違いなく翡翠の筆跡だ。桃華が、翡翠を尊敬する唯一の部分だったため、間違えようがなかった。
「可憐、ありがとう!これで間違いないわ!」
「よかったですわ」
「私、今から話し合い行ってくるね。ここの片づけ可憐にお願いして良い?」
可憐はにっこりと笑った。
「おまかせください。桃華様が戻る頃には見違えるように綺麗にしてみせます」

「後で遥玄(ようげん)の所いってこようっと」
 部屋を出た桃華は鳳軍で一番信頼置ける部下の名前をつぶやいた。

 煌李宮の内廷の西の一室。桜の模様が彫られた茶色の扉を開くと、円卓を囲んで四人の男が座っていた。お茶を飲んでいたのか、部屋には香ばしいお茶の香りが広がっている。
「桃華、普通のお茶で良いかね?」
「うん。龍孫様ありがとう」
 龍孫は、いつものように柔らかい笑顔を浮かべると、ひとつあいていた席の椅子を引いた。桃華が椅子に座ると、慣れた手つきで桃色の湯のみにお茶を注ぎ、桃華の目の前に置いた。
「翡翠、これ」
 桃華はにっこりと笑い、たまたま横に座っていた翡翠に巻物を渡した。
「……埃まみれになってないか?」
「そ、そんなことないよ」
 翡翠はため息をつくと、巻物を円卓の上に置いた。
「おや、麒翠様、女の子に冷たい態度取っているともてませんよ?」
 桃華の正面に座る、少し長めの髪を後ろでお団子にした中年の男はくすりと笑って言った。
「俺には関係ない話だ」
 翡翠はそう言って表情を変えずにお茶を飲む。
「つれないですねぇ。そうそう、私の娘の噂知ってますか?」
 中年の、医者の証である白い衣を身にまとった男は笑みを浮かべたまま続けた。
「白琳の噂〜?圭貴様、教えて〜」
 桃華は、話の続きを、白琳の父親に促した。圭貴は、桃華にむかってにこりと微笑むと、話を始めた。
「看護師や、女官、はたまた官吏……煌李宮中の人々が噂しているのを聞いたのですがね、私の娘、白琳と、麒軍の若き天才、駿殿ができているそうですよ」
圭貴は、そういうとおもしろそうに笑った。桃華はちらりと翡翠の方を見たが、相変わらず表情を変えずにお茶を飲み続けていた。
「その噂なら私も聞いたことがある。宮中どころか、李京中で噂になっているよ。まぁ、それでも駿殿と、白琳殿が好きな方は相変わらず多いようだけど」
康莉が圭貴に続いた。
「へぇ〜知らなかった〜。見た目はすっごいお似合いで、すっごく絵になる二人だね。おとぎ話の皇子様とお姫さまみたい」
 桃華はそういって翡翠にほほ笑みかけるが翡翠は、何も言わずにお茶を飲み続けている。
「そ ういえば、鳳華様は、国境の様子を見にいっていて二週間ほど煌李宮を留守にしていましたし、麒翠様は、花祭りのあとすぐに弄国に行きましたからお二人とも ご存じないんですね。なんでも、私の娘と駿殿はその間に、頻繁に会って仲を深めていたそうで、二人の仲睦まじい姿がいたるところで目撃されていたそうです よ。父親の私としても、あの、駿殿なら安心です。腕も立ち、頭脳明晰、後輩の面倒見も良く、駄目な上司……おっと失礼しました。尊敬する上司の後始末…… 失礼、右手となって働いている。あんなに出来た方の嫁になってくれれば父親としても幸せです」
 桃華が再び、翡翠の方をちらりと見ると、今度は湯のみを円卓に置いてため息をついていた。そして、翡翠が口を開く。
「とりあえず、くだらない話は後だ。本題に入ろう」
「そうですね。私の娘の自慢話はまたあとで。弄国はどうでした?」
「結構まずいかもしれない」
「まずい……?いったいどういうことかな?」
王は怪訝そうに翡翠のほうを見る。
「確認するまでもないが、嘉は弄国に防衛のための兵を貸し出している。嘉はその代わりに弄国から軽玉を輸入しているが……」
  翡翠はここでいったん言葉を切り、お茶を飲んだ。桃華は、自分の頭の中にある常識を思い出す。恵玉とは透明な石だが、特定の場所でしか取れない。その貴重 な石は、特殊な加工を施せば、いかなる硬さにも調節ができ、いかなる形にも変化することができる。弄国は、そんな貴重な軽玉の産出地だ。貴重な玉を所有す ることは恵まれていることではあるが、同時に波乱を呼び起こす可能性もあった。国同士の公正な取引ではなく、他国の侵入という、一方的な形で弄国が支配さ れる可能性もあるのだ。弄国は元々、兵力が少ない。軽玉が取れるその土地は、聖域のような意味を持っており、もともとは神官が建てた国、戦いは厳禁だった というのがその原因だった。とはいっても、このご時世、そうも言ってられない。しかし、弄国が兵力を持とうとすると、ひとつ問題があった。突然兵力をもっ たならば、戦争を仕掛けようとしているとし、それを理由に弄に攻め入る可能性がある国があった。北の大国、洸だ。嘉は、そんな弄を守るために、嘉の武人を 弄に派遣しているのだ。嘉と洸の間には凛河の盟がある。数百年前、嘉と洸が戦争している時代、嘉は劣性だった。時の嘉の国主、要王は何かと引き換えに、国 境を定め、互いに干渉しないことを洸に約束させた。これが凛河の盟である。この盟約がある以上、洸は嘉の兵に手出しができないのだ。
「弄国が、兵を増やして欲しいと言ってきた」
「なんか嫌な感じだな」
「しかもだ、一緒に行った文官のやつによると、弄が提示した軽玉の計算が合わないらしい」
「どういうこと〜?」
「軽 玉っていうのは、弄国の特定の土に埋めると、増える。弄でその年取れた軽玉のうち、3割は再び土に埋めて、2割が嘉にもらえることになっている。普通に考 えれば年々嘉がもらえる軽玉は増えていくはずだ。実際今までは、軽玉の量が年々増えてきていた。だが、今年提示された軽玉の量は去年よりも少ない。いやな 予感がする」
「他国に脅されて、軽玉がとられてたりしてな」
康莉が腕を組んだまま静かにいった。
「それとも、弄が危ないって言うことを弄自身が知らせたくて、そう言ってるのかもよ〜」
「どちらにしても、もっと細かく調べてから弄国と約束するべきだろうな。で、二将軍に、弄国を調べる許可を王にもらおうとしたら、そのどこぞの王は俺たちにめちゃくちゃな命令をして、それができなくなった」
桃華、康莉、圭貴の三人は笑った。王は、少し気まずそうに咳払いをする。
「仕方ないだろう。紅貴があまりにも必死だったんだから」
「……で、とりあえずその役を駿と遥玄あたりに頼もうと思ってるが何か問題あるか」
「ないよ〜」
「ないな」
「良いと思いますよ」
 翡翠は、同意する桃華、康莉、圭貴の答えを聞くと、王の方を見た。
「駿と、遥玄には私から話しておこう」
「あと、圭貴様にお願いがあります」
 圭貴はにやっと笑うと、口を開く。
「だいたい察しがつきます。軽玉をうまく調整して使い、もし軽玉がたりなくて、嘉の医者が騒ぎだしたら、黙らせてほしいんですね?」
「はい」
  嘉では、軽玉を、主に医療の現場で使っている。様々な硬さ、形に変化できるそれは、注射、あるいは点滴などに形を変える。しかし、弄との約束が保留になっ た今、その軽玉が足りなくなる可能性があった。白琳の父親、壮 圭貴は煌李宮で医学を司る、典薬寮の長だった。実質、嘉国の医者の頂点に君臨していると いっても良い。
「策はあるのでご安心ください」
「それにしても双龍国は荒れてるな。弄国も怪しい、津と烽は相変わらず争っている。恵は何考えているかわからないし、洸からはくそ餓鬼がくる。…… 嘉の緩さが異常なのかもな。まぁ
難民の問題はあるが」
 そう、淡々という翡翠にたいし、桃華はにっこりと笑って言う。
「嘉もそんなに平和じゃないかもよ〜?もしかしたら、目的はわからないけど、煌李宮にどこかの間諜が紛れ込んでるかもしれないし。でも対策は打ったわ」
「お前のその言い方は、予想じゃなくて、確信だろう。誰だ?……いや、予想はつくが……」
「翡翠が予想付いてるんならそれで多分正解でしょう。大丈夫。遥玄にお願いしてきたから〜」
「それ、お前は何もやってないじゃないか」
 翡翠はため息をついて言った。
「だってわたし、こういうの向かないもん。で、話し合いはもう終わり?終わりなら、明日に備えてお昼寝するから、私は部屋戻る〜」
 桃華はそういって席を立った。周囲の大人は呆れた様子で桃華を見ていたが、桃華は軽やかに笑っただけだった。
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