決意の二度目

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  第1章 目覚めた場所は 2  

 

 自分に起こっていることが分かれば、もう、さほど驚かなくなってしまった。もしもこれが夢ならばそれはそれ。このまま現実としてこれが続くのだとしても、無理に元の世界に帰ろうとは思わなかった。地図を見る限り、使われている言語は元の世界と同じようだ。
 事実、こうしてセイラと会話はできるし、使われている衣類や家具も、元の世界と大きく変わるわけではなさそうだ。どこかで仕事を探して、食べていけないこともないだろう。多分、なんとかなるはずだ。
 ここらで日雇いの仕事を探し、金が溜まったら、元の世界でそうしたように、田舎で静かに暮らしても良い。
「ありがとう」
 軽く笑んで地図を返すと、セイラは小さく会釈をしながらそれを受け取った。
「あの、シュウ、あなたどこから来たの?」
 シュウは肩まである自分の黒い髪をくしゃりと掻きあげる。まさか「別の世界から来ました」というわけにはいかないだろう。だからといって「記憶喪失になってどこから来たか分からないのです」などという、妙な嘘をつくのも返って胡散臭い。
「オシタートから」
「本当に?」
 先程地図にあった地名を適当に答えると、セイラは不思議そうに小首を傾げた。何かまずいことを言ってしまっただろうか。元の世界では、確かに、人があまり住まない土地というものがあった。そういった種の地名を言ってしまったのだろうか。
「うん」
 今更訂正するのは返って怪しいからと、頷いたものの、シュウが望まない方向に話が言っている気がする。
「私、実は、オシタートに向かってるの。ねぇ、オシタートってどんなところ?」
「良いところだよ」
 どう考えても怪しいだろう、と自分で突っ込みを入れる。いくらなんでも簡単すぎる回答だ。別に、セイラにどんなに怪しまれようと構わないが、できるだけ面倒なことは避けたい。自分は、静かに暮らしたいのだ。
 この世界ではない別の世界から来たと知られれば、それが出来ないかもしれない。ようは面倒なことは避けたいのだ。
 ――自分が動くと碌なことがない。
 そんなことを考えながら、セイラと話している時だった。急に部屋の外が騒がしくなった。
「なんですか! あなた方は!」
 セイラよりも一回り歳が上回った女の声が聞こえた。次の瞬間、シュウとセイラがいる部屋の扉が開かれた。飛び込んできたのは、傭兵風の恰好をした二人の男だった。大きな剣を腰に下げ、柄におかれた手は黒い皮の手袋を身につけている。傭兵の雇い主が用意したのだろう。二人の男の服装は同じ恰好だった。
 シュウはセイラの横顔を見つめる。
「セイラ?」
 咄嗟に、剣は握ったようだが、柄を堅く握ったまま動けずにいる。肌は色をなくし、人懐っこい笑みを浮かべていた口元は噤まれたまま動かない。
(素人か)
 シュウは窓辺から外を横眼で見る。ここは二階のようだが、さほど高くはない。多分大丈夫だろう。
「え? シュウ?」
 動揺した様子で声を漏らしたセイラには答えず、シュウはセイラの細い腕を引いた。初対面の女にこういうことをするのはどうかと思うが、これしか方法がないのだから仕方がない。
 シュウは、セイラを両手で抱え、そのまま窓から外へ飛び出した。地に感じる柔らかい感触は、幸いなことに土だった。
 シュウは咄嗟に辺りを見回す。どうやら降り立ったのは宿屋の裏庭のようだった。当然この世界のことは知らないが、元いた世界と、街の造りがさほど変わらないのなら、この庭を抜ければ、路地に出るはずだ。
 セイラの腕を引き、駆ける。すぐに、小さな木の扉が見えてきた。シュウは扉を抜け、路地に出る。足元の感触が堅い物に変わる。土から煉瓦に変わったのだ。
 やはり、元いた世界に似ていると、シュウは思った。あまりにも似ているものだから、かえって、今自分の身に起こっている出来事は夢なのではないかと思ってしまう。
 手を引いたまま駆け、シュウは家々の間の物陰に隠れ、しゃがむ。縋るようにシュウの腕を掴んでいるセイラに笑いかけ、シュウは言う。
「その剣、貸してくれる?」
 掴まれていない方の腕で剣を指さして言うと、セイラは瞳をパチパチと瞬かせながらも、おそるおそるといった様子で剣を渡してくれた。差し出された剣を左手で受け取り、少しだけ鞘から抜く。
 刃は些かの曇りもない。よく磨かれているというよりは、一度も使われていないといった風だった。
 正直なところ、剣を扱いはそこまで長けてるほうではない。だが、あの傭兵二人を倒すくらいなら多分、なんとかなるだろう。シュウ自身が歯が立たないような相手ならば、気配で分かるが、身が竦むような気は感じない。自分とセイラの身を守るくらいならなんとか。
「いたぞ!」
 少し開けた通りから、傭兵らしい男たちの声が聞こえる。すぐにここにやってくるだろう。
「セイラ、少し待ってて」
 シュウはこくこくと頷くセイラにもう一度笑い開け、路地に飛び出す。剣を構える間を与えず、一人の男の首に衝撃を与え、昏睡させる。路地に突っ伏す男を見て、もう一人の傭兵が歯をぎりりと噛むのが見えた。傭兵の男の歯が、シュウに向けられる。瞬時に剣を合わせ、夜の闇を切り裂くように高い金属音が辺りに響き渡った。
 何度か打ち合った後で、シュウは剣を上段から振り落とした。大きな一撃は、男の剣に弾かれてしまう。だが、シュウはその反動を利用して、男が次の一撃を繰り出すより早く、剣をつき出す。くるりと剣を翻し、シュウは柄頭で、男の喉を打ち付けた。
「カハッ」
 苦しそうな息とともに、男の瞳が大きく見開かれるすかさず男の鳩尾に、肘で一撃を与える。ドサリと重い音を立てて、男が地に倒れた。命に別状はないはずだが、しばらくは起きれないだろう。
 つい先ほどまで、剣を打ち合う音が響き合っていたなど、嘘であるかのように、あたりは静かだ。
 シュウは辺りを見回しながら、静かにセイラのところへ戻る。
 やはり、元の世界とにていると思った。舗装された路地は、赤茶色の煉瓦で出来ている。敷き詰められた煉瓦を土で固めたものだ。周囲に立ち並ぶ建物のも、似た色彩の煉瓦でできている。見たところ2階建てや3階建ての建物が多いなかで、それに混ざって、背が高い塔も見える。
「シュウ、大丈夫?」
「うん」
 シュウは頷き、剣をセイラに返した。二人の男は、斬らずに倒した。剣の重さに任せて衝撃を与えただけだ。血糊はついていない。
「シュウ、強いのね。びっくりしちゃった」
「そんなことないよ」
 それは素直な気持ちだった。自分はさほど剣は得意な方ではない。かつては最低限自分の身を守る必要はあったが、その程度には剣を扱えるが、それだけだ。
「だって、あんなに簡単に倒しちゃって。こんなこと言ったら失礼かもしれないけど、その、剣を扱うような人には見えなかったから、本当にびっくりした」
 それはそうだろうと、シュウは思う。なんといっても、元の世界で自分は、剣の腕を磨くなどとはせず、田舎でひっそりと流れに任せて日々の生活を送ってきただけなのだ。
「剣を扱うのはそんな得意ではないんだけど……それよりセイラ、もしかして誰かに追われてるの?」
「それは……」
 セイラは服を握りしめ、俯いてしまった。夜風に吹かれる金色の髪が寂しげだ。
 事情を聞いたところで、この世界のことを何も知らない自分にはわからないだろう。無理に聞くつもりはない。
「もし、そうなら、しばらくはどこかに隠れていた方が良いかもしれない」
「うん。でも、どこに……」
「それなら家においで」
「女将さん!」
 声がした方に視線を向ける。塀に身を乗り出した、中年の女が力強い笑みを浮かべていた。
「セイラ、この人は?」
「この町で泊っていた宿の女将さん。倒れていたシュウを運ぶのも助けてくれたの」
「それは、ありがとうございます……でも、戻ったら」
 わざわざ元いた場所に戻るということは、セイラを追う男たちに居場所を知らせるようなものだ。
「ハハハ心配はいらないよ。旦那が帰ってきたからね。これでも家の旦那は、昔は傭兵業で伝説となったようなお人だからね。あんな若造に負けやしないって」
 快活そうに笑う女からは悪意は感じられない。これならば、大丈夫だろう。女が言う「旦那」の腕が気になるが、女が嘘を言っているとは思えなかった。
「シュウ……」
 セイラが上目使いでこちらを見た。
「倒れてた俺を助けてくださり、ありがとうございます。もう少しお世話になっても良いでしょうか」
「構わないよ」
 セイラの表情が花が咲いたように赤くなる。そんなセイラを見て、女将と言われた女が可笑しそうに笑った。シュウもつられて笑い、やれやれと肩を落とした。

 再び、宿屋に戻り、シュウはベッドの淵に座り、セイラはそれに背が低い椅子に腰かけた。
「ねぇシュウ、あなた本当はどこから来たの? 本当にオシタートから来たの?」
 シュウはがしがしと、自分の黒い髪を掻き上げる。やはり、咄嗟についた嘘は見抜かれてしまったのだ。地図に載っていた別の地名を言おうか。だが、それではますます状況が悪くなる気がする。
 いっそ本当のことを言ってしまおうか。セイラは驚くかもしれないが、これまでのセイラの言動を見たかぎり、自分が本当のことをいったところで、不都合なことが起きるとは思えない。事情を話せば分かってくれる。なんとなく、そんな気がした。
「えっと……」
「オシタートって言えば、魔導都市でしょう? あそこに住んでいるのは魔導師か、その魔導師相手に商売している人だと思うけど、シュウはそうは見えない。本当はどこから来たの?言いたくなかったら良いけど」
 シュウは力を抜くつもりで息を吐き出す。椅子に座るセイラが少しだけ寂しそうに目を伏せた。長いまつげが、影を作り、赤い瞳が細まる様子は、子ウサギを思わせる。
「そうだなぁ……これを言ったら驚くかもしれないけど、俺、多分今いる世界とは別の世界から来たんだ」
「そうなの? どんなところ?」
 ウソでしょう、とは言わなかった。出会って間もないが、それがセイラの性格を表しているようだと思った。
「この世界とあまり変わらないかな」
「そうなんんだ。ねぇ、シュウが起きた時、セキート様とビレダの話をしていたけど……もしかして、シュウの世界ではビレダを崇拝しているの?」
 おそるおそるといった様子で、セイラに静かに問われる。シュウの世界では、光の神ビレダが世界を創ったとされている。人は皆、創造神であり、光を司るビレダを信仰しているのだ。どんな時もビレダが守ってくれるのだと。一方で、ビレダの対をなすセキートは、闇をもたらす存在だとして、怖れられていた。
 セキートにより世界が闇に覆われた時、その世界の闇を晴らすのもまたビレダだった。
「うん。そうだよ。俺はそんなに信仰心が篤いほうではなかったど」
「そうなんだ。あのね、シュウには悪いんだけど、この世界ではセキート様が慕われているの。だって、この世界を創ったのが、セキート様なんだもの。ビレダは光を纏っているらしいけど、それは、他の世界から光を奪ってそれを自分の力にしているからなんだって言われてるの。逆にセキート様は、そのお姿こそ、闇に染まってしまっているけど、それは、私たちの世界から闇を払ったかたなんですって。シュウの世界ではビレダはどんな風に言われてるの?」
 小首を傾げ、問われる。
「ビレダは光を与える存在だといわれてるな。世界を創ったのは、ビレダだって」
 この世界はセキートが敬われているようだし、セイラ自身も、セキートのことを信じているようだから、元いた世界で、セキートがどんな扱いになっているかは言わなかった。
 ビレダが光を纏い、セキートは闇を司る。その点は、元の世界とおなじだが、それにまつわる話が、まったく異なる。シュウはこの世界と元も世界との違いが気になった。信仰心からというよりは、学術的な興味だ。
「シュウ、元の世界に戻る方法を探すなら、私と一緒にオシタートに行くのが良いと思うの。さっき少し話したけど、オシタートって言うのは魔導都市なの。魔導教会の総本山があるのが、オシタートで、魔術の研究が最も進んでいるのよ」
「魔術……」
「もしかしてシュウの世界には、魔術なんてなかった?」
 無意識に発していた言葉に、シュウは首を振る。信仰されている神は違うが、やはり元いた世界と、この世界はよく似ている。シュウの世界にも魔術はあった。この世界ではどうだかわからないが、元の世界では、魔術は絶大な力を持っていた。
「オシタートには、聖魔導師様もいて。聖魔導師さまっていうのは、世界で一番力が強い魔導師様のことね。魔導教会を束ねてらっしゃるの。そんな都市だから、オシタートに言ったら、シュウが帰る方法も見つかるかもしれない。だから、一緒にオシタートに行かない?」
 オシタートに行きたいかと言われれば、正直なところ微妙なところだ。元の世界に帰る方法を無理に見つけたいとも思わない。どうしようかと思いながら、腕を組んでいるとセイラの言葉が続く。
「本当のこというと、わたし、シュウに私の傭兵になってもらいたいの。さっき、助けてくれたでしょ? それがすごく嬉しくて。剣の腕が立つみたいだし、できたら傭兵になってもらいたいなって。お金ならいくらでもだすから……その」
 シュウはセイラの顔を見つめる。軽く目を伏せるセイラは迷子の子供のようだ。この世界の治安がどういった常態かはわからないが、セイラが何者かに狙われているのは事実だ。
 自分の剣の腕に自身はないが、よほど強い者に襲われない限りは、自分の身と、セイラを守るくらいならなんとかできるだろう。セイラがちゃんとした傭兵を見つけるまで。――信頼できる腕を持った者を雇うまで。そう、自分の中で条件をつける。
「俺はこの世界のことはよく知らないから、案内してくれると助かる。お願いして良いかな?」
 セイラの頬が仄かに赤く上気する。一度大きく見開かれた瞳が嬉しそうに細まり、花が咲くように笑顔が浮かぶ。
「ありがとう」
 嬉しさを綻ばせたような柔らかい声だった。シュウが望む、田舎暮らしからは遠ざかってしまった気がする。だが、セイラ笑顔を見ていると、まぁいいか、と思った。
 ただ、セイラを見守るだけだ。多分何も起こらないだろう。――何も起こさない。

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