決意の二度目

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  第1章 目覚めた場所は 3  

 

 低くはあるが、よく響き渡る鐘の音に、シュウは目を開けた。目を開ければ、元の世界に戻っているかもしれないと、頭の隅で考えていたが、そこはやはり、シュウが知らない世界だった。ベッドから降り、窓をあける。
 鐘の音が一層が大きくなる。朝のひんやりとした風が舞いこんできたが、寒いというよりは心地よい。風が肌をなでるのを感じながら、シュウは目を細める。朝日が眩しい。元の世界では、日の光は、神「ビレダ」が与えてくれるものだと言われていた。だが、この世界ではビレダは怖れられている。それを考えるとなんとも不思議な気持ちだった。
 この世界にやってきたのが、自分ではなく、ビレダへの信仰心が強い元の人間世界における一般的な人間であれば、この世界へおそれをなしたかもしれない。だが、幸いなことに、シュウは信仰心は厚くない。――神は肝心な時には何も救ってくれないのだと知っているのだ。
 木で出来た階段を降り、裏庭に降りた。裏庭にはには、南瓜や人参などの野菜が実っていて、朝の日を受けている。畑の隅に置かれた井戸から水を汲み、顔を洗った。
 自分が知らない世界だとは思えないほどに気持ちが良い朝だ。穏やかな朝であるためか、シュウはさほど異世界に来てしまったことに、落ち込んでいなかった。
 建物に戻り、階段を上がろうとすると、洗濯籠を両手で抱えたセイラに出会った。柔らかな金の髪を、今日は白いリボンでひとまとめにしている。
「あ、シュウ。女将さんが、朝食の準備が出来たからおいでって」
「セイラは?」
「私はこれを干してから行くから、シュウは先行ってて」
 宿屋の一階は食堂になっていた。宿屋に泊っているもの、また、それ以外の者も利用しているようだった。空いていたのカウンターの席に座ると、カウンターの向こう側からカップが置かれた。茶葉の香りが辺りに漂い、自然とシュウは口元を緩めた。
「おはよう。セイラって言ったっけ? 良い子だね、あの子」
「はい」
 シュウは年季が入った木のカウンターに肘をついたまま、頷く。しばらくこの宿屋に世話になると決まり、セイラは世話になるのだからと、宿屋を手伝っているのだという。今朝も、朝食の用意をする女将に代わって、洗濯を行ってくれたという。
「あんな良い子がどうして追われているんだろうねぇ。悪さをするような子には思えないし」
「そうですね」
「お兄さんなら、分かるんだけどね」
 そう言って、女将は可笑しそうに笑う。
「悪いことしそうに見えますか? 俺」
「そうじゃないけど、ほら、あんた全身真っ黒だからちょっと不気味だよ。話してみたら、案外普通だけどねぇ

 言いながら、パンと目玉焼きがカウンターに乗せられる。パンにジャムを塗っていると、木の扉が開き、床が軋む音が聞こえた。
「シュウお待たせ」
 先ほどまで結ばれていたセイラの髪は解かれている。セイラの姿を認めた女将は母親の表情になり、セイラを席に促す。
「ありがとう。セイラたんとお食べ」
「ありがとうございます」
 朝食を食べ終えた後もセイラは宿屋の女将を手伝っていた。掃除をし、畑の野菜を掘り起こし、泥を洗い流す。宿屋の女将は、セイラに仕事をさせているというよりは、セイラと一緒に過ごすのを楽しんでいるようだった。
 あまり、家事になれていないらしいセイラに、仕事のやり方を教える女将の表情は母親のそれで、優しい。嬉しそうに宿屋の仕事をするセイラを眺めながら、シュウは不思議だと思った。
 セイラが誰かに追われるのも変だし、オシタートに向かって旅をしているのも妙だと思ったのだ。セイラはどちらかというと、一か所にとどまって、定住するタイプに見える。当たり前の平穏の中で生活をする方が合っていると思ったのだ。
「まぁ俺が考えても仕方ないか」
 シュウは立ち上がり、宿屋の一室から出て、軋む階段を下りた。
「あれ、シュウ出かけるの?」
「少し散歩にね」
 一階の廊下で出くわしたセイラにひらひらと手を振り、シュウは街に出た。


 ちゃらちゃらと音を鳴らす袋を懐にしまい、シュウはほっと息を吐いた。骨董商で石を金に換えたのだ。シュウの服のポケットには元の世界から入れっぱなしになっていた石が入っていた。宝石にも見える、青く透明な石は、元の世界では価値がある石だったが、それを売ったのだ。
元の世界とこの世界はよく似ている。この世界でも価値があるかは分からなかったが、きちんと売れたことにシュウは安堵した。――店主はシュウが差し出した石を宝石として扱い、かなりの額の金をくれたのだ。
 この世界の貨幣価値はよく分からないが、チャラチャラと音を響かせる金は、金で出来たものや、銀で出来たもの、また銅貨もあり、大きさも様々だった。元の世界と同様であれば、金が一番価値があるはずだ。
 シュウは通りを東に歩いていく。しばらくすると、広場が見え、その中央の池を眺めながら談笑している人々の姿が見える。それを横目で見ながら、シュウは広場の端にある店に入った。
 骨董商で教えてもらった武器屋だ。

 店の中には数人の傭兵がいた。一応、昨日セイラを襲ってきた傭兵がいないかを確認し、店の奥に歩を進める。壁には、様々な種類の剣が飾られている。それをほれぼれとするような眼差しで見ている者もあるが、真剣に吟味している者もいる。
「すみません」
「いらっしゃい」
「あの、剣が欲しいのですが。この金で買える剣で、できるだけ軽いやつ」
 シュウが袋から金貨を一枚置くと、店主の男の瞳が大きく見開かれていく。
「少々お待ちください。……おい、上客だ!」
 後半は店の者にかけられた言葉だった。バタバタとあわただしくなる店内を見ながら、シュウは肩をすくめる。何か自分はとんでもないことをやらかしたのかもしれない。金貨はそんなに価値があるのだろうか。
「兄さんずいぶんと気前が良いんだな」
 突然すぐ横でかけられた声に、今度はシュウが驚く番だった。隣に人がいる気配を感じなかったのだ。あわてて横を見ると、ニッと口元を釣り上げている、男がいた。歳はセイラと同じくらいだろうか。そこそこ背が高いシュウと同じくらいの背の男は、大きな青い瞳をもっていた。癖のある茶の髪が、四方にはねているが、身なりは悪い方ではない。
 白いシャツを身につけ、茶のズボンを銀のベルトで止めている。その上に羽織っている黒い上着の襟もとには、草を模した細かい文様が描かれている。そして何よりも目を引くのは、腰にある剣だ。深い紫色の鞘が店のランプに照らし出され、鈍い光沢を放っている。柄の装飾も見事だ。剣に詳しくないシュウでも上等な剣であると分かる。
 自分はそれなりに気配に聡い方なのだ。それなのにどうして男の存在に気付かなかったのだろう。
 男の存在に驚いているうちに、店主がテーブルに何種類かの剣を乗せる。どれも、綺麗に磨かれた鞘に入っている。
「お好きな物をお選びください」
 そう言われ、シュウは一番手前の剣を持つ。なるほど確かに軽い。続いて、その横に置かれた剣も持つ。こちらも軽かった。だが、剣にさほど詳しくはないシュウはどれを選べば良いのか分からない。それなりに軽く、扱い易ければなんでも良いのだ。
「俺が選んでやろうか?」
 シュウが返事をする前に、横の男は、順番に剣を手に取った。剣を抜き、刃を見つめ、見比べる。先程まで口元で孤を描いていた笑みは消えており、空を映したような蒼い瞳は、微かに細まった。声をかけることもできず、男の横顔を見つめていると、しばらくして、再びこちらを正面から見つめられる。
「それかこれにしたら?」
 男は左右に剣を持った。ひとつは柄に赤い石が埋め込まれた物で、もうひとつは、柄も鞘も黒く、地味な代わりに、鞘に微かに文様が描かれていた。
 シュウは黒い方の剣をとり、店主を呼ぶ。たしかにその剣は手になじんだ。剣を選んだ男は本当に何者なのだろう。
「これ、ください」
 また黒が増えてしまうな、と内心苦笑しながら言い、代金を払い、店を出た。不思議な男も横に並んで一緒についてきた。
「なぁ、あんた何者?」
 店を出てすぐに、シュウは男にそう問われた。
「何者って言われてもなぁ」
 シュウが答えると、男は、何やら楽しそうに笑みを浮かべたまま、口を開いた。
「あんた『魔石』を売ってただろう。あんな上等な『魔石』普通手に入んないよ。店主は宝石だと勘違いしていたみたいだけど」
 その言葉にシュウは内心驚いていた。それはつまり、骨董商からシュウを付けてきたということだ。それなのに、骨董商から武器屋まで、そんな気配はしなかった。やはり、只者ではない。
「君こそ何者? あの石が魔石だってすぐに見抜くなんて」
 魔石とは、魔術を補佐する石のことだ。なくても魔術の行使に支障はないが、あると、より魔術の扱いが容易になるのだ。少なくとも、元の世界では、そういう代物だった。
 魔石の傍で魔術の行使が行われれば、魔石はその透明な石の内側に、炎のような揺らめきを宿す。だが、そうでなければ、魔石の見た目は、宝石と変わらない。実際、シュウが売ったあの石も、海のような深い青色をしていたが、宝石と変わらない見た目だったた。
 それが分かるということは、只者ではないのだ。
「俺は只の旅人だよ。じゃ、俺、用事あるから。また会えたらよろしくな」
 そう言うと男は、黒い上着翻し、細い路地裏に消えた。
「俺はできるだけ関わりたくないけどな」
 ああいう、何かありそうな人間とは関わりたくない。だが、また会うことになるだろうと、シュウはどこかで感じていた。こういう勘はよく当たるのだ。――残念なことに。
 兎も角、欲しい物は手に入れた。セイラにお土産を買おうと、ぼんやり考えながら、シュウは宿屋への路を歩いて行った。

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