決意の二度目

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  第1章 目覚めた場所は 4  

 

「あれシュウその剣……」
 昼の鐘が鳴った頃、シュウが宿に戻ると、セイラが驚いた様子で剣に目をやった。
「買ったんだ」
「買ったって、でもシュウ、お金持ってたの?」
「あぁ。それなんだけど、これを行えに変えたんだ」
 シュウはポケットから魔石を取り出しながら、セイラに言った。すると、セイラの赤い瞳が大きく見開かれた。石を映し出しているセイラの瞳がきらきらと輝き、驚いた様子で口元に手を当てた。
「宝石?」
 セイラが小首を傾げて言った。
(やっぱり普通そう思うよね)
 光を反射し、きらりと輝くその赤い石は見た目は宝石にしか見えない。この石を見ただけで「魔石」だと判断できる、あの男がやはり異常なのではないか。武器屋であったあの男は何者なのだろう。それは気になったが、シュウはまだ、この世界がどういったモノであるかも分かっていない。気にするだけ無駄だと思った。
 何より、あの男に関わったら碌なことがなさそうだ。
「シュウがこんな綺麗な宝石を持っていたなんて驚いた」
「たまたま向こうにいた時に、ポケットに入れっぱなしにしてたんだ」
「そうなんだ。ところでシュウ、シュウが剣を買ったのって、私の傭兵になってくれるからでしょう?剣のお金は私が出すべきだと思うんだけど……」
 これにはシュウは首を振る。
「それは良いよ。この世界のこと良く分かってない俺が剣を持ってないってのも妙な話だし、護身用の剣は必要だと思ってたから」
 町を見れば、護身用に剣を持っている者は幾人かいた。ということは、剣を持つということはさほど特殊なことではないのだろうと推測できる。この世界での治安がどの程度かは分からないが、剣を持つ、ということが一般的であるのなら、持っているに越したことはない。
 元いた世界では、剣を持つのが一般的かどうかは、国によって異っていた。少なくとも、シュウが子供の頃は。国によって、剣を持つのが一般的な国もあれば、剣を持つのは、特定の職業のみという国もあった。シュウの成長と共に、世界が変質してしまい、農民ですら、剣を持たざるえなくなってしまったが。
「本当に良いの?」
「良いよ。ほら、自分の身と、あとセイラの身を守るものがないと落ち着かないから。それより、オシタートへはいつ出発しようか」
「それなんだけどね、この町から直接オシタートにはいけないみたいなの。女将さんが教えてくれた。それでね、ここからだと、リブレという都市までの馬車が出てるみたい。次は3日後に出るみたいなんだけど、女将さんが、手配してくれたわ」
 セイラが地図をテーブルの上に広げ、目的地のオシタートから北にある地を差す。
「リブレに着くまでは馬車で5日くらいかかるみたい」
 セイラが今いる町を指差した。リブレに着くまでに5日ということは、その遥か南にあるオシタートに着くまでにはどれくらいの時間がかかるだろう。単純に距離だけを見るなら、その5倍はかかりそうだ。
 ふと、この若い少女が、そうまでして旅をしている理由が気になった。シュウに傭兵を頼むぐらいだから、剣は扱えないはずだ。実際、何者かに襲われた時も怯えた様子だった。
 そんなセイラがそうまでしてオシタートに行きたい理由はなんだろう。
「そうだセイラ、セイラ自身は何でオシタートに行きたいの?」
 できるだけ柔らかい口調でたずねると、セイラは困ったように笑んだ後で、口を開いた。
「魔導師になりたいから」
「……そうなんだ」
 考えてみれば、当然かと思った。セイラの話を聞く限り、オシタートは魔導都市だという。考えてみれば、すぐ分かりそうなものだった。
「私ね、これでも魔導師の素質があるんですって。だから」
「そっか……」
 この世界での魔導師の地位はどういったものかは分からない。だが、「素質」という言葉を使ってた以上は、誰にでも扱えるものではないのだろう。シュウは軽く目を閉じ、セイラの魔力の総量を探ろうとして――やめた。
 元いた世界と魔力が同質のものである保証はないし、セイラが魔術師になることを勧める権利も止める資格もない。
 セイラが襲われるのは「魔力」も関係しているのだろうか。セイラがその辺りの事情を話したがらないから無理に聞くつもりはないが。
(ま、いっか)
 分からないことをいくら考えても仕方ない。シュウは軽く笑んで、セイラに言う。
「魔導師になれると良いね」
「……えぇ」
 そう、頷くセイラの手が堅く握られた。だが、シュウはそれを深くは追求しなかった。



 3日後の朝、旅支度を終え、宿屋の出口までやってきたシュウとセイラに、宿屋の女将が、泣くのを耐えたような表情で笑みを見せた。
「気をつけていくんだよ」
「何からなにまでありがとうございます」
 笑みで、セイラが返すと、女将は腕を組む。
「町の西に馬車が停まってるから。それに乗っていってちょうだい」
 ――良い子なんだろうなぁ
 セイラを見ながら、ふいにそんなことを思う。セイラのことをそう詳しく知っているわけではないが、女将といい、宿屋の店主と良い、こうもセイラの世話をやくのは、セイラ自身の性格によるものが大きいのだろうと思った。優しい笑顔は、自然と、周りも笑顔にするし、発する言葉は素直な感情を露わした言葉だ。
(セレナみたいだ……)
 数年ぶりに思い浮かべたその名をシュウは再び脳裏から消そうとする。気持ちを切り替えようとため息をつき、シュウは視線を女将に向ける。
「助けていただき、ありがとうございました」
「ちゃんと、セイラを守ってやんなさいね」
「はい」
 シュウは頷き、セイラと共に宿屋を出た。煉瓦で舗装された道を、セイラは軽やかな足取りで歩いていく。茶のワンピースに、白い上着と言う、決して華やかとは言えない恰好だが、当のセイラは楽しそうだ。セイラが何者かに追われているなど、忘れてしまいそうだった。もう少し、気を引き締めるべきだということもできた。
 それをあえて言わなかったのは、セイラが悲しむ顔を見たくなかったかもしれない。
「ねぇシュウ、シュウのいた世界はどんなだった?」
「まだこっちのことはあまり知らないけど、こっちとあまり変わらないよ」
「もう、シュウったらそればっかり」
「ごめん」
 この3日間繰り返してきたやり取りを再び繰り返し、そう言うと、セイラは呆れたように頬を膨らませた。
「ねぇ、シュウがいた世界にも魔導師いたんでしょう? どんな人たちだった?」
「……研究ばかりしてたよ。どんなことも力に変えようとして。いや、そんな人ばかりでもなかったけど、勉強熱心な奴が多かったのは間違いないよ」
「そうなんだ。それだったら、こっちの世界と同じだね。ただ、私たちの世界では、セキート様への信仰が強い人ほど魔力が強いみたいなんだけど、もしかしてシュウの世界では」
 シュウは首を振る。
「信じてるかどうかはさほど関係なかった気がするけど」
 シュウがいた世界では、魔力の強さ、あるいか魔術をうまく扱える者は、神への信仰が強い者、というわけではなかった。純粋な魔力の強さと、いかに効率よく魔術を行使するか。魔導師の実力はそれによって決まる。
「不思議ね。だって、魔力は――少なくとも、この世界ではセキート様が与えてくださる。シュウの世界では違うのね。なんだか不思議」
「……セイラは、セキート様を信じていれば、魔術師になれるって信じてるの?」
「えぇ」
 何の迷いもなく、セイラが言った。シュウはそれに言葉を返すことが出来ず、前を見つめる。どうしていると、丁度目の前に、馬車乗り場が現れた。足が長い茶の馬が二頭並び、横で体格が良い男が、客の荷を積んでいる。
 乗り合いの馬車の周りにはすでに幾人かの人が集まっていた。親子ずれ、そして、もう一人。そこにいた人物に、シュウは思わず顔をしかめそうになる。
「あ、お兄さんたちもこの馬車なんだ。よろしく!」
 武器屋であったあの男が右手を上げてそう言った。根拠はない。けれど、できることなら関わりたくはないと思っていた男が目の前に現れ、シュウはため息をつく。
「シュウ、この人誰?」
「アトスだよ。よろしく」
 シュウが何か言う前に、アトスと名乗った男が答えた。アトスが手を差しだし、セイラに握手を求めた。セイラはそれに笑みを返し、アトスを疑うこともなく、手を重ねた。
「私は、セイラ。隣にいるのは、シュウよ。よろしくね」
「セイラにシュウか。よろしくな」
「よろしく」
 あまり関わりたくはなかったが、口ではそう言い、シュウは頷いた。アトスは、あの武器屋で「シュウ」という存在を怪しんでいた。その癖こうしてにこやかな笑みを見せるあたり、アトスがどういう人物か、その片鱗を見た気がする。
(やっぱりあまり関わりたくはないな)
「そろそそ出発するみたいだから、二人とも急いだ方が良いよ」
「そうだな」
 セイラもシュウも預けるほどの荷はない。最低限の荷物を手に持ったまま、馬車に乗ると、すでに数人の客が乗っていた。真ん中に辛うじて人が通れるくらいのスペースがあり、その両脇に椅子が並んでいる。馬車の中では大きな方だが(少なくとも元の世界では大きい物に部類される)旅に慣れない者には辛いかもしれない。
 何年か前は、シュウも旅をしていたから、この手の乗り物は苦ではなかった。だが、最近はずっと、田舎でのんびりと暮していた。久しぶりの長距離の移動に、シュウは微かに苦笑した。
 窓際にセイラが座り、その隣にシュウが座る。そして通路を挟んだ反対側の席には、アトスが座った。
「そういえば、二人ともどこまで行くの?」
「オシ……」
「リブレまでだよ」
 オシタートと言いかけたセイラの声を遮り、シュウはリブレとだと答えた。なんとなく、目的地を話さない方が良い気がした。
「最後まで乗っていくんだな。それなら俺も同じだ。ほら、あそこの書庫に一度行ってみたくてさ。貴重な本もたくさんあるって話だし」
「アトスってそういうのに興味あるの?」
「ひっどいな。一応、これでもそれなりに、本は読むよ。ま、本より剣の方が好きだけど」
 見たままの印象をそのまま言えば、そんな答えが返ってくる。この、怪しい男と3日間も一緒に旅をすることになるのは、気が重かったが、書庫があるという話は、シュウにとっては収穫だった。
 書庫があるのなら、そこで本を読めば、ある程度この世界の有りようがわかるかもしれない。字が同じであったのが救いだ。

 馬車に揺られ、一日目は隣町で宿を取り、朝になれば、再び馬車はリブレに向かって走り出した。進行は予定通りで、このまま順調にいけば、さらにもう一日立てば、リブレに着くという。
 そのリブレに着くはずだった4日目、事件は起こった。
「その馬車!そこで止まれ!」
 馬が嘶く音が響き渡り、野太い男の声が飛び込んでくる。シュウの横でセイラが、ガタガタと身体を震わせている。シュウは、セイラを窓側から引き寄せ、馬車の内側に押しやる。そして、窓から外を眺めた。
 馬車の周りを、剣を持った男たちに囲まれていた。子供が一人悲鳴を上げ、また、別の客は声を上げることも忘れ、顔を白くしている。ちらりとアトスを横眼で見ればアトスだけは、剣の柄に手を載せ、シュウ同様、様子を疑っていた。
「死人を出したくなけりゃ、金髪赤眼の女を出せ」
 男のその声に、セイラに視線が集まった。シュウは咄嗟に、自身が纏っていた黒い布を、セイラの頭にかぶせた。
「シュウ」
 アトスに声をかけられ、シュウは視線をアトスにやる。
『逃げろ』
 声には出さずに、口だけでアトスがそう言った。シュウが頷く前に、アトスが馬車から降りた。
「おい!女を出……つっ」
 男が全て言いきる前に、その場に付した。アトスが剣の柄で男を殴ったのだ。馬車の外に出たアトスに男たちの刃が向けられるが、アトスは楽しげに口元に笑みを浮かべていた。
「念のため言うけど、手、引いた方が良いよ?」
「うるせぇ!女を出せ」
 アトスは肩をボキボキと慣らし、剣を向けた男の刃先を次々に受け流していく。男たちの件を受け流し、ついでに地面に叩きつける。ただそれだけの動きだが、無駄がなく、綺麗だった。
 この世界のことは知らない。だが、その動きは、きちんと師について学んだものだとろうと推測できる。
(かなりの腕だなあいつ)
 そう思いながら、シュウはアトスが男たちを引きつけているうちに、馬車から降りた。茫然としているセイラの手首から伝わってくる鼓動が早い。
「逃がさねぇよ!」
 こちらの存在に気づいた男が一人、シュウとセイラの元にやってくる。シュウは剣を引き抜き、振り下ろされた男の件を受けようとした。だが、いつまでたっても、手に振動が伝わってこない。セイラの腕を握ったまま、男を見つめれば、男は地面に倒れていた。
 剣を鞘にしまったアトスが、一仕事終えた、というよに手をはたき、腰に手をあてた。どうやら、男はアトスに倒されたらしい。
「もしかして二人とも誰かに追われてるのか?」
「それは……」
 シュウがそれにこたえられるはずがなく黙っていると、セイラが言葉を詰まらせながら、そう言った。
「俺さ、実は傭兵なんだよ。セイラとシュウが良かったらだけど、雇ってくんない? それなりに腕は立つし、宿代だけだしてくれれば良いんだけど」
「え、良いんですか?」
 いくらなんでも話がうますぎる。そう言って止めようとしたが、セイラはといえば、すでにその宝石のような赤い瞳を輝かせている。
「うん。改めてよろしくね。セイラ。それからシュウも」
 にこりと、晴れ渡った空のようなさわやかな笑顔を向けられ、シュウも辛うじて笑みを返す。
「よろしく」
 今この瞬間に、シュウのやるべきことがまた2つに増えた。一つは、セイラを無事オシタートまで守ること。そして、もうひとつは、この得体がしれない男を監視することだ。

 


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