決意の二度目

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  第2章 シュウとアトス 1  

 

 馬車から降りたシュウ、セイラ、アトスは徒歩でリブレに向かうことにななった。
「馬車だったら今晩着くはずだったってことは、徒歩ならもう一日くらいか」
「あぁ。何もなければ明日には着くはずだけど、今日は野宿になるな」
 シュウが静かに言うと、セイラを挟んだその隣のアトスが答えた。シュウはやれやれとため息をついた。道はあるが、街中の路地のように整備はされていない。元々は森だったのだろう。周囲を木々に囲まれ、人が通る場所だけが辛うじて切り開かれていた。
「ま、この辺りは凶暴な獣は生息してないから、追ってさえ撒けば問題なくリブレに着くと思うけど」
「詳しいんだな」
 シュウが言うと、アトスは苦笑した。
「この辺は何度か徒歩で来たことがあるからな」
「ふ〜ん……」
 この世界のことを詳しく知るわけではないが、町から町の異動は馬車が一般的なのか徒歩が一般的なのかは分からないが、そもそもアトスは(自称)傭兵だと言っていた。
(見たところ治安は悪くないみたいだからな)
 セイラは何者かに狙われているが、セイラ以外の誰かが襲われているところは見かけない。盗人が頻繁に現れる。女子供は簡単に出歩けない。そんな国であれば、傭兵は儲かるが、そうでないなら、傭兵はそんな割がいい仕事ではないのだろう。
(余計な金は使わないに越したことはないか)
 だが、それにしてもおかしいとシュウは思う。アトスは、シュウから見ても剣の腕が立つ。あれだけの腕があれば、どんな場所でもうまくやれるはずだ。なのに、どうしてあまり傭兵には向かないこの地にいるのだろう。
(やっぱり何か狙いがあるんだろうな)
 そうは思うが、アトスのことどころか、この世界のこともよく分からない。考えるだけ無駄か。そう思い、シュウは視線を少し上に向けた。遠い異界では空は昼間でも赤く、大地は黒檀のようであるという。シュウが子供の頃に聞いたセキートが支配する世界の話だ。だが、実際にやってきたセキートの世界は、元シュウがいた世界と変わらない。木々の隙間から見える昼間の空は澄んだ水色をしており、踏みしめる大地は元の世界と同じ柔らかい土で出来ている。
 元いた世界とあまりにも似ているものだから、これが夢なのではないかと思う。
(……実際は夢ではないみたいだけど)
「やったことあるのか? 野宿」
「……一応ね」
 アトスに問いかけられ、シュウは静かに答えた。できることなら、この話題から離れたい。そう思いながら、シュウはセイラの言葉が続くのを待ったが、セイラは何も言わなかった。
「セイラ?」
「ごめんなさい。少しぼんやりしていて」
 セイラの声が返って来るまでに少し間があった。こちらに視線を向けたセイラを見て、シュウは一瞬違和感を感じた。仄かに頬が赤い気がする。
「シュウ?」
 今度は、セイラが動揺を露わにする番だった。シュウはもちろんその動揺に気づいていたが、シュウはそれに構わず、セイラの額に手を伸ばした。やはり思った通りだ。少し熱い。
「少し熱があるみたいだね。アトス、この辺りに川はないのか」
「あぁ。それならここから東に行ったところ」
「あの……私、大丈夫だから」
 そう、セイラが言った直後だった。セイラの身体が膝から崩れ落ちた。シュウが咄嗟に身体を支え、ゆっくりと地面に下ろすと、セイラが口をきゅっと結んで、上目遣いでシュウを見つめた。張っていた気が、緩んでしまったのかもしれない。セイラの赤い瞳が微かに潤んでいる気がする。シュウは軽く笑い、セイラに手を差し出した。
「立てそう?」
 フラリと立ちあがったセイラを抱きとめ、シュウは半ば強引に、セイラを抱きかかえた。
「ちょっとシュウ……!」
 掠れたその声で非難するように名前を呼ばれたが、シュウはアトスに視線を向け、言う。
「川の傍まで案内してくれるか?」
「あぁ」
 こちらを見つめたセイラの唇が、何か口にしようとしているのが見えた。だが、しばらくすると、静かに口が閉じられ、気まずそうに瞳が伏せられた。セイラの荷物はアトスが持ち、シュウとアトスは早足で森を突き進んだ。
「アトス、そこの紫色の小さな花を付けた植物、取ってくれるか?」
「何するんだ?」
「それ、解熱効果があるから」
 シュウがそう言うと、アトスが口笛を吹いた。瞳を閉じうとうとしかけていたセイラがぼんやりとアトスを眺めている。シュウはやれやれとため息をつき、薬草を取ったアトスと共に、川辺に向かった。
 そう長い距離を歩かずとも川辺に辿り着き、シュウは上着を地面に敷いた。疲れていたのだろう。瞳を閉じているセイラを寝かせ、シュウはシャツの腕を捲くった。
「アトス、さっきの草くれるか?」
「あぁ」
 アトスから草を受け取ったシュウは懐からナイフを取り出し、茎と花を切り落としていった。
「水汲んできてくれるか?」
「あぁ」
 シュウは刻んだ薬草を摘まみ、鼻先に近づけ、香りをかいだ。雨上がりの森を思わせるようなしっとりとした香りがほのかに広がった。かつていた世界ではユズナと呼ばれていたそれは、シュウの記憶に在る通りの香りを漂わせている。
 念のため、ちぎって口に入れると、覚えがある苦みが舌に広がる。やはり、かつての世界にあったものと同じものだ。
 特に身体への異変も感じない。大丈夫だろう。そうしているうちに、アトスの足音が近づいてきた。
「汲んできた」
「ありがとう」
 礼を言いながら、水が入った鉄製の容器を受け取り、シュウは代わりに魔石をアトスに渡した。いくつかは金に換えてしまったが、まだ残っていたのだ。深い海を映し出したような透明な青い石を載せられたアトスが驚いた様子で目を見開いている。
「シュウ、まだ持ってたのか」
 シュウは苦笑しながら頷き、腕を組んだ。
「その石で、火をおこしてくれるか?」
「良いけど、俺、魔導師じゃないし、魔力はほとんどないに等しいから、魔石を使ってもそんな長くは持たないと思うけど」
「信仰心が低いんだな」
 この世界での魔力の高さはこの世界の神、セキートへの信仰心に左右されるという、セイラからの話を思いだして言うと、アトスはやれやれというようにため息をついた。
「そう言うシュウは俺に頼むってことは俺以上に信仰心がないってことだよな?」
「そうだね」
 腕を組んで言うと、アトスが可笑しそうに笑った。セイラの話を聞く限りは、人が持つ魔力の高さはセキートへの信仰心の強さによるらしい。だが、アトスはどうやらそれを信じていないようだった。
(……ずれてるのはアトスか?)
 そんなことをぼんやりと考えながら、シュウは言う。
「とりあえず、火おこしてくれ。薬湯を作るために必要だ」
「魔術、苦手なんだけど」
「それでいいよ。湯を沸かしたいだけだから。それに魔石ならまだいくつかあるからどうにでもなる」
 アトスはコホンと小さく咳ばらいをし、地面にシュウが渡した魔石を置いた。そして軽く目を閉じる。
『世界の災いを引き受けしセキートの名において、炎の精霊の力を我に』
 聞こえた言葉にシュウは静かに息を飲んだ。言葉の響きは普段シュウ達が使う言葉の響きとは異なっている。言葉と言うよりは、静かな歌声のようだった。日頃明るめのアトスの声が、低くなっている。だが、シュウが驚いている理由は、アトスの雰囲気が変わったからではなかった。
 その言葉を、シュウも知っていたのだ。かつての世界でそれは『神語』と呼ばれていた。シュウが元いた世界では神、ビレダに願いを届ける為に使われていた。この世界では信仰されている神がことなる。なのに、その神に言葉を届けるための言語は、元いた世界と同じ。それが今更ながら、不思議に思えた。
 パチパチと、土の上に落ちていた小枝を燃やす音が響き、赤い炎が灯った。
「湯を沸かすだけならそれで十分だろう?」
「うん」
 アトスの声に我に返ったシュウは水が入った器を火にかけた。しばらくし、沸騰したところで、刻んだ薬草を入れた。辺りに漂う草の香りが一層強くなる。その香りに頷いた。水を汲むついでに水に濡らしてきたらしい布をアトスが、眠るセイラの額にのせ、アトスは火の前に座るシュウの横に並んだ。
 そうしているうちに、日が暮れ始めていた。茜色になる空をぼんやりと眺めた後で、シュウは、湯を椀に注いだ。少し覚ました後で、シュウは静かにセイラの肩を叩いた。
「セイラ、起きれる?」
「ん……」
 うっすらと目を開けたセイラを右手で支え、セイラの身体を起こした。赤い瞳は、どこかぼんやりとしていた。何度か瞬きをするが、セイラは、状況を掴めないというように、不思議そうに小首を傾げた。
 セイラはシュウより4歳年下の19歳だと言っていた。だが、こうしていると、それよりも幼く見える。
「熱を出して倒れたんだ。セイラこれ、飲める?」
 覚ました薬湯をセイラの口元に持っていくと、ことりが啄ばむように椀を口にした。白く細い手が、木でできた椀を両手で持ち、シュウはそれをそっと支える。
 一口、二口。ゆっくりとではあるが、小さく喉が動き薬湯が減っていくのを見て、シュウは安堵のため息をついた。
「シュウ、アトス、こんなことになってしまってごめんなさい」
 掠れた声でセイラが言い、シュウは笑んで見せた。
「慣れない旅でつかれていたんだろうね。今は休んで」
「そうそう。気にすることないって。シュウの意外な特技も分かったことだし」
「意外な特技……?」
 熱で微かに潤む瞳をセイラが大きくした。
「あぁ。この薬湯、シュウが作ったんだ。すごいよな」
「シュウが……? シュウ、そんなことが……」
 そう、関心したように言ううちに、セイラは再び目を閉じた。静かに寝息が聞こえ、シュウははだけてしまった上着をセイラにかけ直した。
「本当にすごいよな? シュウ」
 にやりと、まるで悪だくみでもするかのようにアトスが笑った。
(……まずかったか?)
 アトスに何かを勘ぐられるのはよくない気がする。直感がそういうため、シュウはできるだけアトスの前では余計なことをしないようにしようと思っていたのだ。できることならこの話題は続けたくない。そう、シュウが思っていた時だった。カサリと草が擦れる音が聞こえた。それに続いて、アトスの腹から、切なげな空腹の音が響き渡った。
「そういや、腹減ったな」
 アトスの声にシュウは静かに頷く。その直後だった。アトスが突如ナイフを取り出したかと思えば、それを草陰に投げつけた。すぐに立ちあがりアトスは獲物を持ち上げた。
 ナイフが深く刺さっているそれは野兎だった。シュウはそっと野兎に触れる。絶命はしているが、まだ暖かい。
「器用だな」
 アトスにそう言うと、シュウはナイフを抜きながら、苦笑いを浮かべた。
「仕留めるのは得意なんだけど、捌くのは苦手で」
 先程まで腹が減ったと言っていた人物と同一とは思えない言葉に、アトスは思わず笑い声をもらした。アトスのことは分からないことばかりだ。だが、森に入ってからの歩き方を見て、てっきりこういうことにも慣れているのかと思っていた。
(まぁ、慣れていることと、できることは別だろうけど)
 とはいえ、アトスがそんな繊細な神経を持っているようには見えない。
「シュウはそういうことできるのか?」
 シュウは答える代わりに、アトスから兎を奪った。


 食用に獲物を捌くのも、それを調理するのもシュウが行い、食事を終えたシュウとアトスはぼんやりと炎を眺めていた。ずっと沈黙が続いていたが、シュウはあえてアトスに積極的に話しかけようとは思っていなかった。できるだけアトスとは関わりたくない。とはいえ、この先しばらくはアトスも一緒に旅をすることになる。
 どんな風にアトスに関わるべきか。どの程度信頼できるだろうか。そう、考え事をしていると、アトスが急に口を開いた。
「言葉に訛りはない。だというのに、野生動物を食用に捌くことはできる」
「急になんだ?」
 シュウが尋ねると、アトスはニヤリと笑みを浮かべた。
「やっぱり、シュウは変わってるなぁと思ってさ。普通に生活している都市部の人間は、肉は店で買っているはずだから、野生動物を食用に捌くことはできないはずなんだよな」
「元々は田舎の出身でも、都市で生活していくうちに訛りがなくなったとは考えられないか?」
「そう、簡単に訛りはなくならないよ。例え、そうだとしてもやっぱり、シュウって妙なんだよな。都市部に住んでる人間で魔石をあれだけ持つことができるのだったら、それなりに名前を知られてるはずだ。だけど、少なくとも俺は聞いたことない。で、田舎出身だと仮定すれば、さっきの件を踏まえて、なくはない話だと思う。訛りは直しとして……。
でも、そうすると魔石の件が説明つかないんだよな。田舎からやってきて、その歳で、魔石をあれだけ持てるようになるくらいに、急速に地位を築いたなら、それなりに有名なはずなんだよな……あと、考えられるのは、どっかの地方の貴族の子息かなんかで、魔石を受け継いだってことだけど、それだったら、やっぱりそれなりに名は知られてるだろうし、そもそも、傭兵まがいのことをしなくて良いはずだから」
 やっぱり、アトスは油断ならない人物だと思った。シュウの何気ない行動で、ここまでで素性を推測できるのは、やはり、只者ではないのかもしれない。なにより、気になったのは、少なくとも、アトスはそれなりに名が知られている人物であれば、知らない名などないと、暗に言っていることだ。
 シュウにしてみれば、自分なんかより、アトスの方がよっぽど変っている。
「あ、まさかその魔石盗品じゃないよな?」
「まさか。俺が盗人だとして、わざわざ魔石を盗んでそれを換金するなんて真似しないよ」
「本当か?」
「あぁ、セキートに誓って」
 その言葉に、アトスは可笑しそうに笑いだした。
「よく言うよ」
 元の世界では、光の神ビレダが常に人の行動を見守っていると言われていた。そのため、自身の身の潔白を証明する時は、ビレダに誓うという文言を用いていた。どうやらその文言はこちらの世界でも通じるらしい。
「なんかシュウは自分のこと話す気はないみたいだから、俺そろそろ寝よっかな。……あぁ、それなりに気配を悟ることはできるから、なんかあったら起きるよ」
「うん」
 シュウが頷くと、アトスはあっと言う間に眠ってしまった。

 この世界は元いた世界とよく似ている。
(オシタートに行けば元の世界に戻る方法が見つかるかもしれないと言っていたけど……)
 やはり、このまま戻らなくても良いのではないかと思ってしまう。ずっと、この世界にいれば、過去と決別できる。――この世界に、シュウの知り合いはいない。
(ま、オシタートに着いてから考えれば良いか)
 シュウは静かに寝息を立てているセイラとアトスの寝顔を見つめる。19歳のセイラと、そのセイラと同じくらいの年齢に見えるアトス。こうして眠っている二人は、実年齢よりも幼く見える。
(人に追われてまでオシタートを目指して魔導師を目指すか……)
 この世界での魔術師の地位は、どれほどのものか分からないが、そこまでして魔導師は目指したいものなのだろうか。
(まぁ、普通に魔術を学ぶだけなら、生活が便利になるよな。多分)
 シュウは、魔石が入った袋を、地面に置き、静かに立ちあがった。そして、セイラとアトスから、少し距離を取る。辺りに人の気配は感じない。これなら大丈夫だろう。シュウは手の平を上に、右手を宙にかざした。
(炎よ……)
 神への祈りを口にするわけでも、長い呪文を声にしたわけではないが、宙に炎が浮かんだ。アトスが出した炎よりも大きなものだ。
「魔力は、信仰心の強さに左右される、ね」
 シュウはぽつりと呟き、親指と中指を鳴らし、炎を掻き消した。
 

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