決意の二度目

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  第2章 シュウとアトス 2  

 

 セイラが熱で倒れた日の翌日、シュウ、セイラ、アトスはリブレに辿り着いた。シュウが宿屋までセイラを運び、アトスが医者を探した。ようやく見つけた医者の話によれば、セイラはおそらく疲れが出たのだろうということだった。「同伴の方は多少医学の知識があるようですし、数日休めば良くなりますよ」という医者の言葉に、シュウとアトスは安堵のため息をついた。
 そうしているうちに日が暮れ始め、窓の外に見える空は茜色に染まり始めていた。
 シュウは、窓に近づき、外の景色を眺めた。リブレは、最初の町よりも、都会だった。路は白い石畳で出来ており、凹凸があまりないその路に今は、オレンジ色の光が落ちている。通る者は、男女、旅人風の者と様々だったが、一際目を引くのは、シュウが元いた世界でいうところの学者風の者だった。
 ブラウスに上着、手には本と、大きな鞄を抱えているが、腰に剣は差していない。そういった者が幾人もいる。
(そういえば大きな図書館があるんだったな)
 街の北に目をやれば、一際大きな建物がある。白い路が四方に伸びる町にあって、茶の煉瓦で出来た建物はそれだけで目を引く。壁の一部をツタが覆っており、年月を感じさせる。おそらくあれが図書館だろう。
(気になるな)
「図書館に行きたいのか?」
 後ろから近づいてきたアトスにシュウは静かに振り返った。隣に並んだアトスは窓のふちに肘を置き、困ったように笑みを浮かべた。
「行ってこいよ。セイラは俺が見てるから。医者も、数日休めば良くなるって言ってたし、俺一人付いていれば大丈夫だろう」
「う〜ん……そうは言ってもな」
「そんなに俺のこと信用できないか?」
 今度は口の端を釣り上げた笑みを見せ、アトスが言った。図星をつかれ、シュウはため息をついた。
「信用できると思うか? それだけの剣の腕があれば、傭兵業で荒稼ぎできるはずだろう? わざわざ俺たちに声かける必要はないし、魔石を見ただけでそれだと判断できるってことは只者じゃないはずだ。何者なんだ?」
「う〜ん……」
 アトスは腕を組み、窓の淵に腰かけた。ちらりと図書館の辺りを見やったあとで、再びシュウに視線を向けた。
「それはどっちかっていうとこっちの台詞なんだけど。魔石なんて貴重なものあんなにたくさん持ってるのは妙だよ。それに、見たところ、本業は傭兵じゃなかったんだろう? そんな奴がセイラに頼まれたとはいえ、傭兵としてセイラと一緒に旅してるなんて妙だろう?」
「もっともだな」
 アトスの言葉にシュウは苦笑を浮かべる。できるだけ自然にふるまってきたつもりだったが、たしかに自分の態度は不自然だった。――最も、この世界でいうところの「普通」がどういったものかは分からないのだが。
 ――言葉は通じる
 元の世界にどうしても戻りたいというわけではないし、やろうと思えば適当に職を探して、静かに暮らすこともできたかもしれない。それでもあえてセイラとオシタートに向かうことを選んだのは――
 シュウはぼんやりと窓に視線を向け、初めてセイラと出会った時のことを思いだす。
 セレナとは対象的な赤と視線が交わった。日の光を纏ったような金髪がふわりと舞い、にこやかな笑みを浮かべていた。静かで穏やかな笑みを浮かべていたセレナとは違う。
 『あの日』以来、人と積極的に関わることは避けていた。なのに、セイラの顔を見ているうちに、自然と守りたいと思ったのだ。
(この世界のことすら良く知らないのに、守りたいだなんておかしいよな)
 ましてや、受ける印象はまったく違うのに、あの、セイラに似ている気がするなんて。
 シュウは静かに首を振る。
「ま、慎重なのは良いことだと思うけど。とにかくさ、俺に気を許せるようになったら図書館でもどこでも行ってこいよ。しばらくはセイラを休ませなきゃならないし、シェフィール随一の図書館なんて、めったに行く機会ないと思うし、さ」
 シュウは最初この世界に来た日にセイラに見せてもらった地図を脳裏に描き、リブレに向かう馬車に乗る前にセイラに教えてもらったことを思いだす。たしかにセイラは今自分たちがいるこの国はシェフィールだと言っていた。
 今の王は長いこと病を患っているという。だが、その、子である二人の王子と一人の王女が穏やかな統治を行っており、シェフィールはそれなりに豊かな国だという。
「本当はもう一人王子がいらしゃったんだけど、亡くなってしまって……でも残った王族のみなさん、慕われているんですよ?」
 セイラが小首を傾げ、小さく笑みを浮かべてそう言っていた。
 けれど、それ以外のことは知らない。どういった文化をもっているのか。一見元にいた世界とそう変わらないように見えるが、違いはあるのか。
(図書館に行けば多少分かると思うんだけど)
「あ、もしかしてシュウって外国人?」
「まぁ、そうだな」
 適当に言ってシュウは目を逸らした。
「どこから来たの?」
「……遠いところだよ」
 適当に地図に載っていた国名を言おうとも一瞬思ったが、シェフィールの外交状況も分からないのだ。この回答は怪しまれるだろうが、もう怪しまれているのだ。下手なことを言うよりはマシだと思い、シュウはそう言った。
「ま、別に無理に言わなくても良いけどさ。でも大丈夫だよ。そこの図書館、外国人でも入れるから。教会発行の身分証があれば」
「……身分証はなくして」
 シュウは手を顎に手を当て言った。無理がある言葉だと自分でも思う。身分証がどういったものを指すのかは分からないが、その名前の通りのものであるなら、再発行できるものだろう。
 シュウの言葉に、アトスが目を細める。
「……なくしたの? それとも、元々持つ資格がないの?」
(降参だな)
 シュウは言葉を口にする代わりに、ため息をついた。
「身分証がないなんて、もしかして最近はやりの、邪神ビレダを信仰してるとか? でも、そんな信念が強そうには見えないけどな」
 笑いが混ざった声でアトスが言う。
「やっぱ罪を犯して剥奪された? それなら、シュウは相当な極悪人ってことになるんだけど。身分証が剥奪されるなんてよっぽどだよ」
 アトスが剣の柄に手を載せて言う。小首を傾げ、笑みを見せたままのアトスがどこか楽しんでいるのは気のせいではないだろう。
「そのどちらでもないよ。でもアトスが想像しているようなことはない」
「ふ〜ん。ま、いいや。図書館、行きたいんだろう? 身分証、作ってやろうか」
「……え?」
 思わず気を抜けた声を出してしまう。身分証とはおそらく、身分を証明するものなのだろう。であれば、そう簡単に作ることなどできないはずだ。何者なのだろう。この男は。
「ただ、条件がある。シュウの正体教えてくれない?」
 口調こそ軽いが、その顔から笑みが消えている。空色の瞳がまっすぐにシュウを射抜いてくる。もしかしたら、自分が別の世界から来たことを教えることで厄介なことになるかもしれない。だが、もう今更何かを取り繕ったところで、アトスからの疑いの目を逸らすことはできないだろう。
(剣の腕はたつしな)
 それなら、味方にした方が良いだろう。正体を教えることで、身分証を作ってもらえるのなら運が良い。
(偽造がばれるレベルの身分証を作られる可能性もあるけど、それはそれで……)
「多分、信じられないだろうけど、俺、ここではない別の世界から来たんだ」
「……そうなんだ。そういえばシュウとセイラはオシタートに向かうんだよな。最初、俺に、目的地はリブレだって嘘ついてたけど」
 一瞬目を見開いたアトスだったが、すぐにいつもの表情に戻り、そう言葉を続けた。張り詰めた空気も緩んでいる。シュウはアトスの態度に違和感を感じた。別の世界から来たと聞かされれば、普通はもっと驚くのではないだろうか。それか信じないかだ。
「懸命な判断だと思うよ」
 静かに言われ、シュウは茫然とする。
「そんなに驚かなくても良いのに。オシタートに行けば魔導師がいるだろう? もしかしたらなんとかできるかもしれない。まぁとにかく今は身分証明書だよな。名前はそのままシュウで良いか?」
「あぁ」
「年齢は?」
「23」
 アトスに年齢を告げると、どういうわけか、アトスは勝ち誇ったような笑みを見せた。不思議に思い、首を傾げると、アトスは腕を組んだ。くつくつと笑い白い歯を見せたアトスが口を開く。
「年上の言うことは聞くもんだと思わないか?」
「アトス、俺より上なのか?」
「2歳上だよ」
「人は見かけによらないんだな」
 セイラと同じくらいの年齢だと思っていたから、アトスは内心驚いていた。それともこの世界は元いた世界より、歳をとるのが遅いのだろうか。
「あぁ、セイラは見た目通りだよ。19歳」
 シュウの心を読んだようにアトスが言い、可笑しそうに笑う。
「2日ほど、この町から出てくるよ。セイラのこと頼むな」
「わかった」
 本来ならその言葉を言いたいのは自分のほうだと思いながらも頷きくと、アトスがひらりと手をふって背を向けた。
 眠るセイラと、シュウの二人だけになった部屋で、シュウは再び窓から景色を眺めた。
 茜色だった空はいつの間にか紺碧に変わっていた。

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