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  第三章 妖獣 9  

 

李京、煌李宮の中では、一目がつきにくい建物のひとつ、灰色の石で出来た建物の一室に漣はいた。主に煌李宮で働く官吏が法を犯した時に、尋問する部屋だ。官吏どうしの癒着を防ぐため、官吏の尋問をできる役人は、官吏の中でも優秀、かつ、誰がその権限を持っているかは他の官吏には知らされないものだった。本来、顔を隠して尋問をするものだが、恐らく、その必要は無いと踏んで、漣は顔を隠さなかった。
 こういう尋問の際、不正の防止と尋問する管理の身を守るため に、見張りとして、武官、それも鳳軍、麒軍の誰かが着く。鳳軍、麒軍は他の機関よりも独立性が強く、武官の中でも優秀な人物が選ばれているため、情報の漏洩が防げると考えられていたのだ。それに、もしも武官を尋問する際、尋問される武官より、こちらが強くなければ危険なのだ。
 今回見張りをしているのは、駿 だ。一応、可憐を文官に引き渡した時点でこの件に関しての駿の仕事は終わっているはずなのだが、わざわざ自分から見張りに名乗り出たのだ。それも、駿は確か、弄国関係のことを詳しく調べなければならず、その準備に追われているのにもかかわらず、だ。
(まぁ、国益を損ねるような悪用はしないだろうが誰かを個人的にいじめる材料には使いそうだよな。っていうか見張りやりたいって言ったのは絶対そのためだよな)
「漣、どうしたんだい?ため息なんかついて」
「いや、駿だけは敵に回したくないなぁっと思って」
 駿は微かに笑みを浮かべて言う。
「俺より上手なんていくらでもいるよ」
「どうだかな」
「さて、そろそろ来るみたいだよ」
 駿がそう言うと本当にやってきた。
「可憐を連れてきました」
「ありがとう」
 可憐を連れてきた武官――これも麒軍だ――から可憐を引き取り、駿はにこやかに答えた。
「可憐、そこに座ってくれるかい?」
「はい」
 机を挟んで漣の前にすわる可憐の顔は青白かった。緊張と恐れが伝わってくる。駿はというと、それだけ言うと漣と可憐の間に立った。武官の官服をきて、彼愛用の、普通より大きい大剣を腰にさし、しっかりとした姿勢で立つ駿は見た目だけは職務に専念している。
(やっぱり、駿がいるとやりずらいよなぁ……今日吐かせることがいじめの材料になるかもしれないと思うと……しかも、吐き出させる相手がこんな若い女の子だとなぁ)
 もちろん、漣は感情と職務を割り切ることができる。ましてや目の前の彼女はやってはいけないことをやろうしたのだ。しかし、こういう、駆け引きに慣れていなそうな少女が目の前だと逆にやりずらい。漣は相手がそれなりにやり手で、そんな相手の矛盾を突いたりする方が、ずっと気が楽な気がしていた。
「えっと、まず、姓を教えてくれるか?」
「姓ですか?……私は、孤児なので姓なんてありません。あったかもしれませんが、忘れました」
「本当に?君は確か能力を見込まれて煌李宮にやってきたんだよね?鳳華様の身の回りの世話が仕事だけど、煌李宮で仕事をするにはいろいろ礼儀作法をしってないといけないだろう。鳳華様はああいうお方だから気にしないって言っても、やっぱり街で暮らすのとは違って作法とかあるし。そういうのをこんな短時間で、普通の孤児だった子ができるとは思えない。そいいう学校に行ったって言う経歴もないようだし」
「それは……」
 可憐はさっそく言葉に詰まってしまった。
(なんとなく適当に言っただけなんだけどな)
 漣はなんとなく、可憐を一方的に責めているような気になる。やりにくさを感じ、漣は軽くため息をついた。
(無意味なことをずっと言い続けても仕方ないし、さっそく鳳華にもらった情報を使わせて貰うか)
「……隣の恵国の華族、月宮家の人間だろう?月宮家の月宮可憐(つきみやかれん)」
「え……」
 まさかばれているとは思わなかったのだろう。可憐は本当に驚いた様子で、言うべき言葉を見失っていた。
「華族っていえば一般的に言う貴族みたいなもんだけど、恵国のそれはちょっと違うよな。双竜国で もっとも古い歴史を持つ国でそこの皇族と近しい中にある、恵国の中でも名家と呼ばれる月宮家の出身、そんな君がいったいなんで紅貴を捕まえようととしたのかな?君の仕事は恵国の皇族を助けることだろう。そんなことしたら、恵国の皇族の権威はどうなるの?」
 月宮家は恵国の華族の中でも特に皇族を慕っている。漣にはわからない感情だったが、恵の皇族を守るというのが月宮家が月宮家たる所以であり、誇りであるというのだ。それを知っていた漣は、そこを言えば可憐が自分の出身を否定することを忘れるのではないかと思ったのだ。そして、実際その通りになった。
「私は挺兄……いえ、挺明稜(ていめいりょう)様のためにやったんです!それだけは誰にも否定させません……!これが挺明稜様のためだって言われたから!」
今にも泣きそうな顔だった。少し落ち着けさせようと声をかけようとしたが、可憐の声が続く。
「洸国の赤い髪の子供が、嘉国と手を組むために嘉に行くって……。もし、手を組んだら恵国に攻めて来るからって!」
「わかったよ。……少し、落ち着こうか」
 挺明稜と言えば、恵国の皇子である。元々は第二皇子だったが、何年か前に、皇位継承者だった第一皇子とその母親、祥玲(しょうれい)が亡くなり、今では事実上第一皇子と言っていい人物だ。その母親、明汐(めいせき)は現在の皇后であり、元々は月宮家の出身だ。冷静に考えると、可憐は挺明稜の従兄妹にあたる。
「……可憐に紅貴を捕まえたら明稜様の為になるって言ったのは誰なんだ?」
「言えません!どんな罰でも受けるから……だから!!」
「そんなわけにいかないよ……そうだなぁ、嘉国は洸と手を組んで、恵を襲うなんてことは起こらない。嘉国の王、龍孫様がやりもしないことを言われたとあってはこっちも黙ってられないよ。可憐は、恵国の皇族を心から慕ってると思う。……だったら、俺に気持ちもわかるよな。誰が言ったか教えてくれないか」
 漣は、そういうことに多少、罪悪感を感じた。恵国の皇族に対するそれと、嘉の王族にたいしてのそれは少し違う。恵国は、双竜国の中で最も歴史が古い国であり、皇族こそがその歴史の証である。一方で、嘉国ではそういった意識は薄い。もちろん尊敬している民は多いだろうが、恵とは事情が違うと、漣は感じていた。恵国では、誰よりも超越した存在であるが、嘉では必ずしもそうではない。元々の、何事もゆるい国民性と相まって、嘉では、王族は、超越した存在という意識は薄い。その代わり、嘉の民は、、王族が幼少の頃より、この国のあらゆることを学び、文化、歴史、法に誰よりも精通しており、きちんと与えられた重い役目を果たしている点は尊敬していた。漣にとっては、王の性格を知っていることもあり、共に働く同志……は言いすぎだとしても、一緒の職場の、上司と部下のような関係に近いと感じていた。嘉と恵の違いを分かっていながら、恵国にとって、皇族がいかに大切か、を理解しているからこそ、あぁ発言した。だが、そこまで考えて、漣は気づく。
(でも、話聞いてると、一般的な恵国の 民の感情というより、親しい兄弟に対しての感情に似てるのかな。さっき、挺兄って言いそうになってたし)
「可憐、教えてくれないかな」
「……言えません。私に紅貴を捕まえろといった方も大切な方なんです。私が罰を受けますから、どうか……」
 漣は再び溜息をついた。鳳華が、証拠はないが可能性が高い予想だと言っていたことを思い出す。漣も鳳華の予想であれば、話の筋が通ると思っていた。それをこちらから言うことは何となく気が引けたのだが、そうも言っていられないのかもしれない。可憐は嘘がつけないようだし、鳳華の予想が外れていれば分かりやすい形で否定するだろう。逆に、本当であれば可憐はわかりやすい形で動揺するはずだと予想し、少し気が重くなりながらも、そんな考えを悟られないように、静かに言う。
「間違えてたら謝るけど、それを言ったのって恵国の皇子で挺明稜様の弟君、檜悠(かいゆう)様?」
「……何で……」
 ぽつりと、そう漏らした可憐の声は、掠れていた。そんな可憐が少し可哀想だと、漣は思う。だが、可憐が紅貴にやろうとしたことはいけないことだ。そうは思っても、目の前にいるのは儚い少女の可憐だった。この状態の可憐にこれ以上話を聞こうとしても多分無理だろう。漣は、駿に目配せをするすると駿はこくりと頷いた。
「可憐、今日はこれでおしまいだ。……とりあえず、俺が言うのもなんだけどゆっくり休めよ」
駿が外で待機していた武官を呼び、可憐は部屋の外へ連れて行かれた。部屋には漣と駿だけが残る。
「厄介だねぇ。檜悠様の母親って光宮家(こうぐうけ)出身の遥春(ようしゅん)様だろ?」
「あぁ」
 光宮家は月宮家と同じ華族である。皇子の母親が同じ華族どうし、しかも本来継ぐはずだった皇子は、すでに死んでしまっている。双竜国では嘉であれ、恵であろうと洸だろうと、皇子の中で『証』があるものが王位を継承するものだ。漣はその証がどういうものであるかは知らなかったが、亡くなった恵国の皇子が、その証をもっていたことは確かである。一応現時点での皇位継承権第一位は挺明稜らしいが、残された皇子でどうしで皇位継承争いが起きても不思議ではない。残された皇子の母親の出自を考えると、余計にその可能性が高いような気がする。可憐は気づいていないだろうが、可憐は、皇位継承争いの道具にされた可能性がある。煌李宮での可憐の行動や発言を見る限り、月宮家の末っ子として大事に育てられたのだろう。ああいう場所の裏を知らないような危うさがあるように漣には感じられるのだ。檜悠に言われ、可憐がやったことは、月宮家の家名を貶める行為だ。可憐がやったことが知られれば、月宮家出身の挺明稜の地位は危うくなるだろう。それに可憐が気づいて、檜悠のことを言ったとしても、檜悠が、もし本当に皇位継承争いをするような人物なら、可憐の言葉を証拠がないと言い、切り捨てるかもしれない。しかし問題はそれではない。
「俺はこれでも嘉国の官吏だから、恵のことを考える義理なんてない。だから、あっちの皇位継承争いがどうなろうと関係ない。普通にこっちで刑を受けてもらった後、恵に返せば良い」
「そう言いながら心配そうだけど……?」
 漣は駿の言葉には答えずに話し続けた。
「……ただ、檜悠様のことも含めて恵に事情説明して、それが檜悠本人に否定されたら、嘉国が嘘を言ってるって言われるだろう。無理に恵と仲良くする必要もないと思うけど、それでも色々と面倒なことになる」
「そうだね。もっと色々調べて、慎重に動く必要がありそうだね。あとは、龍清様がもってくる情報に期待かな?桃華ちゃんは、他に何か知らないのかな」
「鳳華は知らないって言ってたな。あと、鳳華は、この件に関しては、翡翠は使い物にならないって言ってた。あんなきっぱり言うの珍しいから、驚いたよ」
「優しい桃華ちゃんならそう言うだろうねぇ。まぁ俺も、翡翠はこの件に関しては、使い物にならないと思うから、そこは桃華ちゃんと同じかな。……俺は、桃華ちゃんほどやさしくないけどね。」
漣は駿の言った言葉の意味が理解できなかったが、聞いたところで、駿は答えないだろうと思った。ただ、はっきりしているのは、駿が忙しく、二将軍も自由に動けないのなら、自分がこの問題を何とかしなきゃいけないということだった。

――同じ頃、湖北村の麓の神社では、紅貴が刀を抜いたところだった。
「亮さんを離せ!」
 紅貴はそう、今の精一杯の子を張り上げて言い、亮のところへ向かおうとした。紅貴とて、剣に自信はないか、まったく使えないわけではない。一応、子供のころに稽古は付けてもらっているのだ。紅貴は亮に刀を突き付けている男に刀を振り上げようとした。しかし、キンという、刃物と刃物がぶつかり合う音がしたかと思うと、亮に刀を突き立てている男とは別の男が紅貴の前に塞がった。
「うわぁ!?」
 男は紅貴に向かって次々と剣を突き出す。なんとか動きを読んで、剣を防ぐが、攻撃する隙がない。男の顔をちらりと見ると、口元にはわずかに笑みを浮かべていた。これは、戦いを楽しむというより、弱い者いじめをする時の馬鹿にしたような笑みに近いと、紅貴は思った。一方紅貴の方は余裕がない。剣を追うので精いっぱいだ。
(やばい!!手がしびれてきた!)
 紅貴がそう思った丁度その時、紅貴は小石に躓き、尻もちをついてしまった、同時に持っていた刀も手から離れる。
(やばい!!)
紅貴は思わず目をぎゅっと瞑るが何も起こらなかった。ドサッという音が聞こえ、恐る恐る目をあけると、剣をもった男たちは全員倒れていた。
「あの……」
 紅貴が戸惑っていると、清風の声が聞こえた。
「亮先生も師匠も、さすがですね。お兄ちゃん大丈夫?」
紅貴は打った腰を押さえながらのろのろ立ち上がる。情けない姿だと自覚していたがどうしようもない。
「これ、亮さんと冬梅がやったの?」
紅貴はあたりを見回す。剣を持った5人の男たちは、全員、見事に気絶している。
「うん。お兄ちゃんがこけてすぐに、亮先生が隙を作って亮先生に剣を向けていた男に肘鉄喰らわせたんだ。それと同時に師匠が、他の男たちに峰打ちくらわせたんだ。峰打ちだけど、力が強かったみたいで、みんな気絶しちゃった」
「紅貴君、君は剣の筋は悪くないけど、実戦が足りないようだね。 ……どんなに思いが強くて、誰かを助けたいと思っていても実力が伴わなければ、それはできない。思いの力だけじゃだめなこともある。今のうちに強くならなきゃね」
 亮はにっこり笑ってそう言った。優しい口調だったのだが、今の紅貴の状態をはっきり言い当てていると、紅貴は思う。紅貴は、亮が言った言葉を心の中で繰り返した。そして思う。
 ――自分がどんな決意をしていようと、強くなって、その力を 使う期間が僅かだとしても、今は強くならなければいけない……。そうでなければ、洸の王はとてもじゃないが倒せない。そして、倒せないということは、 かけがえのない人物の願いも叶えることができないということなのだから。

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