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  第一章 北の青い空 3  

 煌李宮の北、煌龍門と呼ばれる門がある。天に昇る龍の形がかたどられたその門の先は、内廷と呼ばれ、この国の王族の生活の場となっている。煌龍門を抜けた 先には、やはり、白い石でできた路。その左右は、池と呼ぶには大きく、水だまり。小さな湖のようになっていた。東の湖の上には、季節の花が咲く、庭園のよ うなものが浮いている。西の湖には、林が浮いていた。その林の上を今は、黒い翼をつけた馬が飛翔している。それを、内廷の内から見つめる少女がいた。

「烽国の首長が、津国の者に倒されたという情報が入りました。二国の争いはますます激しくなるで……」
「天之助(てんのすけ)だ〜」
  内廷の西の一室、黒漆でできた円卓を囲んで、二人の男と、一人の少女により、会議が行われていた。先ほどから、ずっと話をしている、黒に近い青い官服を身 につけた男の本名は、康莉(こうり)といい、嘉国の文官の最高位である、宰相の位についていた。宰相は、嘉を守るといわれる、獣、霊亀(れいき)より、亀 という字をとって、王より名を与えられる。故に、康莉の字は康亀(こうき)という。
 康莉が話している途中で 声を上げたのは、桃華という少女。淡い桃色の丈が短い服を着て、茶髪をお団子にした少女は、まだ、十代半ばだった。顔立ちも幼く、綺麗というよりも愛らし いとう言葉が似合う。踊り子などをやっていそうなその少女は、実際にはその出で立ちからは想像しにくいことだが、武官だった。たしかに、その腰には黒い鞘 に入った刀と、脇差しが帯刀されている。そして、鳳凰から一字とった名を少女はもっていた。鳳華という字を持つこのあどけない少女は、武官としての最高 位、二将軍の位についていた。
 桃華は、飲みかけのお茶を円卓に置くと、窓の方へ駆け寄った。
「やっぱり天之助だわ」
 窓の方へ駆け寄る桃華を、父親のように温かい眼差しで、着流しの男がむける。茶色い瞳に、はしゃぐ少女の姿が映り、男は柔らかく笑んだ。
「天之助っていうと、翡翠の天馬だったかな?確か桃華が名付け親だったね」
 男は顎に生えた少量のひげをなでながら、柔らかい声で言った。着流しを着たその男は、たしかに、二将軍の名を本名で 呼んだ。親しい間柄ではその限りではないが、字をもつ人間にたいして本名で呼ぶのは無礼とされている。本名で呼ぶことが許されているのは、 その親と、そして、王族だけだ。この四十に入ったあたりの長身の男こそが、嘉国の国王、龍孫だった。
「翡翠は名前なんていらないって言ってたんだけど、それじゃあ、あの子が可哀そうでしょう?だから、私がつけてあげたんです。最初、翡翠はなぜか嫌がってたんだけど、白琳が説得してくれて、あの子の名前天之助になったんです」
 桃華はそういうとにっこりわらった。何の屈託もないと言ってさしつかえのない明るく愛らしい笑顔だ。
「天之助が帰ってきたということは、麒翠は弄国から帰ってきたということですね」
康亀がそう言うと、ちょうど扉が開き、翡翠が中へ入ってきた。
「翡翠お帰り〜お土産は?」
 桃華はそう言って手を出すが翡翠はそんな桃華を無視し、まっすぐ王のところへやってきた。
「王、ここに戻ってくる途中に会った餓鬼に会って欲しいのです。多分、王に用だと思うので」
 龍孫は、突然そんなことを言う翡翠を不思議に思い、微かに首をかしげた。不思議に思ったのは、康莉も同じだったのだろう。
「麒翠、子供を王に会わせたいとはいったい……」
 翡翠はそれには答えずに、王の目をまっすぐに見た。翡翠の視線を受けて、――その内に潜む真剣な目の輝き――それに、王は気づいた。
「その餓鬼……真っ赤な髪を持つその餓鬼は、おそらく洸国から来たと思われます」
 王は頷くと、先ほどまでとは口調を改め、言う。
「……わかった。その子どもに、玉座の間で会おう。康亀、玉座周辺の人払いを頼む。その子供と二人だけで話したい。私は、着替えたら、玉座に向かう。翡翠はその子を玉座に案内してくれ。弄国の報告は後ほど聞こう」
 王がそういったその直後だった。バタンという音が部屋中に響いた。音の中心にはうつ伏せに倒れている青年。確かに先ほどまで王と話をしていた青年が倒れている。康莉は、目を丸くして翡翠の方へ駆け寄った。
「麒翠、大丈夫か!?」
「翡翠どうしたの〜眠いの〜?」
 早口で言う康莉に続き、この場では場違いなのんびりとした桃華の声が続いた。
「多分、貧血だな。康莉、桃華」
 龍孫はいったん言葉を切ると、割と背が高い康莉と、背が低く、細身の桃華を見比べる。うん、と頷くと、再び口を開いた。
「まず、桃華は、翡翠の代わりに赤い髪の子供を玉座まで案内してくれ。慣れない宮中で、子供をいつまでも待たせておくのも可哀そうだから、着替えたらすぐ行く。康莉は翡翠を頼む」

 駿は、山のような書類を片手に内廷の回廊を歩いていた。 回廊の上部にはめ込まれた硝子の窓は、開けられていた。春のやわらかな風と陽光が差し込み、駿を照らしている。耳に心地よい小鳥のさえずりが聞こえ、駿は上を見上げた。
「気持ち良いな」
そう、目を細めてつぶやきながら歩いているうちに、目的の部屋の前にたどり着いた。宮中での翡翠の私室だった。駿は、書類を持っていない方の手で扉を開き、中に入った。
「相変わらず何もない部屋だな」
  駿は、部屋を見回した。部屋の奥には大きな窓。そこにかけられている簾は上げられ、煌李宮の湖が見渡せる。陽光が入る明るい部屋ではあるが、それ以外に特 徴はなかった。生活に必要最低限な物しか置いておらず、殺風景な部屋だ。部屋の主の性格を表しているようだと、駿は感じていた。
 入って右の寝台をちらりと見ると、この部屋の主が眠っている。駿はそれを見て微かに笑うと、入って左の机に書類の山を置いた置いた。その直 後、紙が一枚ヒラリと床に落ちる。拾おうと腰をかがめた丁度その時、駿はもそもそと動く音を聞いた。そちらを見ると、翡翠が上半身だけ起こしていた。
「お前、俺の部屋で何しているんだ」
微かに眉間に皺を寄せている翡翠をみて、駿は質問に答えずに笑って見せた。代わりに、違う話題を切り出した
「久しぶり、といっても二週間ぶりくらいかな?」
「……」
 翡翠は相変わらず、眉間にしわを寄せているままだ。
「翡翠が弄国にいっている間に、何回か白琳に会ったよ。いつみても綺麗だよね」
白琳の名前を聞いた翡翠の眉が微かに動いた。ほんの少しの変化だったが、駿はそれを見逃さない。一瞬の沈黙の後、翡翠が言った。
「駿……お前はわざわざそれを言いにきたのか……?」
 翡翠のあからさまな不機嫌な声に、今度は微かに声をあげて笑った。
「そうじゃないけど、あれ?もし、そうだったら何か問題でもある?」
「……いや……あ!この忙しい時に兵士が、暇潰しに喋りしに来てたらまずいだろう。仕事に戻れ!」
 突然思いついたように言う翡翠が可笑しい。駿は微かに笑いながら答える。
「翡翠、俺はどこかの将軍と違って、半年ほど無休だったんだよ。それで、今日休み貰ったんだ。 だから休みの日に俺が何やっても自由だろう?翡翠の方こそ今日は休みじゃないだろう?こんなところで寝ていて良いのか?」
「……昼寝ぐらい問題ないだろう」
 プイっと壁の方を向いてそう言った翡翠に対し、駿は『確信』を口にする。
「なんだ。昼寝か。俺はてっきり翡翠が貧血かなんかで倒れたのかと思ったよ」
 そう、にこにこと笑っていると、駿の背後の扉が開き、髪をお団子にした少女が顔を覗かせた。
「翡翠〜貧血大丈夫〜?」
 そう言いながらも、桃華の声からは心配している様子が感じられない。花が咲いたように明るく笑うと、翡翠は深いため息をついた。
「翡翠が連れてきた赤い髪の子……紅貴だっけ?玉座連れて行ったよ〜」
「あれ、翡翠が子供連れてくるなんて珍しいね。子供嫌いだろう?」
「たまたま目的地が同じだったから一緒に来たってだけだ」
「ふ〜ん……?常に仏頂面の翡翠に声かけるなんて、そんな勇気ある子いるんだね」
「……お前ら無駄口叩きに来ただけならすぐこの部屋から出ろ」
「違うよ〜!ちゃんと用事があって来たんだもん」
 桃華は口を尖らせて言うと、手のひらを上に両手を出した。
「おみやげ〜」
「は?」
「だからお土産っ」
桃華はにっこりと笑った。
「なんで俺がそんなのを買わなきゃいけないんだ」
「え〜?だって、仕事とかで遠くに行ったときはお土産を買う決まりでしょう?」
「そんな決まり作った覚えはない」
 桃華は、翡翠の声を聞きながらも部屋のはじの戸棚に近づき、革でできた翡翠の鞄を漁りだした。 しばらくたち、目的のものを見つけたのか、嬉しそうに桃華は笑った。
「これ、お土産でしょう」
 竹の皮で包まれた物を取り出し、桃華は翡翠の許可を得る前に開け出した。部屋に、ほのかな桃華の香りが漂う。
「桃饅頭だ〜。私、桃饅頭大好き」
 嬉しそうに桃饅頭を頬張る桃華と、溜息をつく翡翠を見比べ、駿は静かに言う。
「翡翠も桃華ちゃんに甘いんだな」
「は?」
「宮中の人間は皆鳳華様に甘いからね」
  駿はそう言ってほほ笑んだ。二将軍の一人、鳳華、本名桃華は、 その容貌のためか、性格の為か可愛がられる傾向にあった。十六歳になるのだが、その容姿は十三歳程度にしか見られなかった。駿が初めて桃華に会ったのは四 年前。駿と翡翠が十七歳、桃華が十二歳だったのだが、実際、その頃からほとんど桃華の容姿は変わっていない。昔から大きな黒い瞳はいつもきらきら輝いてお り、桃色の口元はいつも笑顔を象っている。どんなささいなことでも素直に喜び、天真爛漫という言葉が似合う、そんな子供だった。
 でも――駿はちらりと桃華の黒い刀を見た。一度刀を抜けば、その実力は他者を圧倒する。たまたま王族と親交が深かったとか、前二将軍が恩師であるとからいった理由で桃華は二将軍に命じられた訳ではないことを駿は知っていた。
「おい、駿も桃華もいい加減この部屋から出ろ」
 翡翠が腕を組んだまま、機嫌の悪さを隠さずに言った。
「そうしたいところだけど、俺も遊びに来たわけじゃないから、伝えたいことだけ伝えたら出るよ」
 駿は机を指差した。机の上には先ほど駿が置いた書類の山。
「仕事を持ってきたんだ。明日までに頼むね」
「ふざけるな」
「さて、ここにいても邪魔だろうし出ようかな。桃華ちゃんも部屋でようか」
 駿は柔らかく笑うと、最後に言う。
「どうせ、翡翠のことだから、お金の計算を間違えたんだろう。旅の資金を前半でほとんど 使い切って、後半はほとんど金なくなって食事できなくなった、ってことが前にもあったしね。そんな自業自得の奴の仕事を代わりにやる優しさは持ち合わせてないから仕事頑張れよ」
 駿はいったん言葉を切るとにやりと笑う。
「まぁどうしても大変だったら白琳にでも手伝ってもらうんだね」
 俺は休みを満喫するよ、と、軽口を言って駿は部屋を出て行った。
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